2021-07-24

チェーホフ「聖夜」の舞台は「ゴルトワ川」沿いの教会とその対岸なのだが、それはロシアのどのあたりなのだろうかと、グーグルで「ゴルトワ川 ロシア」とか「チェーホフ 聖夜 ゴルトワ川」とか日本語で検索してもまったくヒットせず、結局、自分が十一年前に書いた日記にたどり着いた。それを読んで、今回読んだ感じとだいたい同じようなことを考えていたのだなと思った。偽日記、2010年1月29日(それにしても、登場人物のイエロニームを、ずっと一貫してイエロニイームと誤記している…)。

https://furuyatoshihiro.hatenablog.com/entry/20100129

●今回読んで新たに思ったのは、話者の特徴のなさだ。この物語を語っている「わたし」が、どんな人なのかという情報がほとんどない。復活祭に教会が行う「リュミネーション」を川の対岸から見物しようとしている影のように存在する《百姓》が、話者を《旦那》と呼んでいるので、それなりに身分の高そうな、裕福そうな男性なのだろうと推測できるが、それ以上の属性はよくわからない(また、イエロニームが自分の内心の告白をためらわなかったのだから、それなりに優しく知的に見える人であるのだろう)。この、像の掴めない、ある意味透明なとも言える話者が感覚的、感情的に経験することと、彼が感じ、考えることによってこの小説は形作られている。

だがこの話者もまた、復活祭のリュミネーションを見物しに余所から来た一人の客でしかなく、イエロニームのことも、彼が語るニコライ神父のことも、教会の内情も、まったく知らないはずだ。この小説はほぼ一見さんのまた聞きと、また聞きから導かれた推測でできていて、そこには証拠となるものは何もない。イエロニームがまったくの嘘つきであった場合、ここに書かれていることは話者の独り合点の思いこみ(復活祭の騒ぎのなかの妄想)ということになる。しかし、そのような(復活祭の喧噪の上にふわっと乗っかっているような)根拠の薄弱な危うさこそが、この小説のリアリティとなっているように思う。そしてこのリアリティを構成する要素のひとつとして、話者が何者かほぼ分からないということも含まれているだろう。

●復活祭の夜、すばらしい天気。「わたし」は川の対岸にある教会へと渡るために渡し舟を待っている。遅れてやってきた渡し舟では、イエロニームと呼ばれる男が「渡し綱」を操作している。舟の上でイエロニームは、今日亡くなったニコライ神父について語る(松下裕・訳)。

《「なんてきれいなんだろう! 」とわたしは言った。

「なんとも言えないくらいですね! 」とイエロニームがため息をついた。「こういう夜ですからね、お客さん! 別の時なら花火なんぞ気にもかけませんがね、今夜はどんな空騒ぎでも楽しいものですよ。お客さんはどちらからですか」

わたしはどこから来たのかを言った。

「さようでございますか……きょうは喜ばしい日ですからね……」とイエロニームは、治りかけの病人のような、弱々しい、ため息まじりのテノールでつづけた。「天も地も地獄も、喜んでますよ。生きとし生けるものが、祝ってますよ。ただね、どうしてでしょう、お客さん、こんな大きな喜びのときでさえ、どうして人間は自分たちの悲しみを忘れることができないんでしょうね」

(…)

「で、神父さん、あなたにはどのような悲しみがあるのです」

「ふつうに言ってですよ、誰にもあるようなね、お客さん。でも、きょう、修道院ではかくべつの悲しみがありました。昼の礼拝とき、旧約聖書の金言の朗読の最中に修道輔祭のニコライ神父が亡くなったのです……」》

《「わたしなり、誰か別の者なりが死んだのなら、かくべつ、なんということもなかったでしょうが、あのニコライが死んだのですからね! ほかでもない、あのニコライが! 信じられませんよ、あの人がもうこの世にいないなんて! こうして渡し舟に立っていると、絶えず、今にも岸辺から声をかけてくれるような気がするんです。舟に乗っているわたしがこわい思いをしないようにと、あの人はいつも岸辺にやって来て、声をかけてくれたものです。わざわざそのために、夜中に寝床から起き出してくるんですよ。(…)」》

●この言葉から、イエロニームが、(復活祭のこの夜だけでなく)恒常的に夜中まで渡し舟の渡し守をさせられているということが伺えるのだが、それはともかく、ニコライは、優しく、頭がよかっただけでなく、賛美歌を作る才能もあったのだとイエニームは語り、讃える。

《「賛美歌を作るのはそんなにむずかしいものなんですね」とわたしはたずねた。

「むずかしいのなんのって……」とイエニームは頭を横に振った。「恵まれた才能がなかったら、知恵者でも聖者でもお手上げですよ。ろくに分からない修道僧たちは、賛美する聖者伝を知って、ほかの賛美歌を当てはめるだけですむくらいに思ってますがね。》

《(…)肝腎なのは聖者伝でもなければ、ほかの賛美歌との調和でもなく、美しさ、快さにあるのですからね。すべてが端正に、簡潔に、しかも綿密でなければならない。どの行にも、しなやかさ、やさしさ、柔らかさがなくてはならず、どの言葉も、ぞんざいな、粗い、そぐわないものであってはならない。祈りを上げる者が思わず心で喜び、悲しみ、理性で震えおののくように書かなければならない。(…)》

《イエニームは、まるで何かに驚いたか、恥入ったかのように、両手で顔を覆って頭を降った。

「信仰をはぐくむ果実の生る木……憩いの場となる緑濃き木……」と彼はつぶやいた。「こんな言葉が見つけられるでしょうか! こういう才能は神が与えたもうたものですよ! 簡潔にするためには多くの言葉や意味を一つの単語にこめるものですが、あの人の手にかかると、すべてが淀みなく、しかも精しくなるのです! (…)口調のよさと誇張のほかに、あなた、ひと言ひと言がみな飾りたてられ、そこには花も、稲妻も、風も、太陽も、この世のありとあらゆるものが歌いこまれていることがなお必要なのですよ! 》

●ニコライとイエロニームの関係

《「(…)うちの修道院では、そんなものに誰ひとり関心をもつ者はいませんしね。嫌いなのですよ。ニコライが作ってることは知ってても、見向きもしなかったのですから。きょう日、あなた、新しい賛美歌なんぞ誰も尊重しませんもの! 」

「書くことに偏見を持っていたわけですか」

「そのとおりです。ニコライが教導僧ででもあれば、あるいは修道士たちも珍しがったかもしれませんが、何しろまだ四十にもなっていませんでしたからね。嘲る者もあれば、彼の賛美歌を罪だと見なしていた者さえあるくらいでしたから」

「じゃあ、いったいなんのために書いていたんです」

「べつに。何より自分の慰めのためにですよ。大勢の修道士たちの中で、わたしだけがたった一人、あの人の賛美歌を読んであげたんです。ほかの者に気づかれないように、こっそり訪ねて行くと、わたしが興味を持っているのを喜んでくれたものです。(…)》

《「(…)今やわたしは、みなし子か、後家さんと変わりありません。そりゃ、修道院の人たちはみな、人のいい、立派な、信心深い人たちばかりです、でも……やさしさとか気づかいとかはありゃしません、一般民衆と同じです、大声で話はする、歩くときには足音をたてる、騒ぎもするし、咳払いもする。ところがニコライはいつだった穏やかに、やさしく話をしたし、人が眠っていたり祈っていたりするのを見ると、そばを通るのに、蠅か蚊のようにひっそりしてましたよ。顔つきまで穏やかで、同情に溢れていてね……」》

《「もうすぐ復活祭の聖歌が始まりますよ……」とイエロニームが言った。「でもニコライはもういないのですから、深く見きわめる者は一人もいません……、あの人にとっては、この聖歌ほど快い聖書はなかったのですからね。ひと言ひと言を、深く見きわめたものでした! あそこにいらしたら、あなた、どういうことが歌われているか、よく見きわめてください。心を奪われますよ! 」

「じゃあ、あなたは教会へは行かないのですか」

「行かれないのです……。渡しをしなくてはならないので……」》

●復活祭の夜に渡し舟の操作を押しつけられるイエロニームと、誰からも興味を持たれなくても自らの慰めのために賛美歌を書いたニコライ。復活祭の夜をもっとも深く味わえるであろう二人が不在の教会に、あたかも彼らの代理であるかのように(あるいは、不在の彼らを教会の中に見いだすという役割を負ったかのように)話者が訪れる。

《何歩かぬかるみを歩いたが、そこから先は、柔らかい、新しく踏み固められたばかりの小道を通って行けるようになった。この小道は、もうもうたる煙の中を通り、人びとや、車からはずされた馬や、荷馬車や、幌馬車などがごたごたと混雑するところを通って、穴のように真っ暗な修道院の門へと通じていた。これらすべてが軋り、鼻あらしを吹き、笑ってそのすべてに真っ赤な光と、波のようにうねうねした煙の影がちらついていた。……。まったくのカオスだ! しかもこの雑踏の中で、小さな大砲に弾丸をこめたり糖蜜菓子を売ったりする場所まで人びとは見つけているのだった! 》

《「なんというざわざわした夜だろう! 」とわたしは思った。「なんといいのだろう! 」

夜の闇を初めとして、鉄板や、墓標の十字架や、その下で人々が騒いでいる木々まですべての自然に、ざわめきと不眠を見たかった。けれども、教会の中ほど、激しい興奮とざわめきの見られるところもなかった。入口では、満ち潮と引き潮の絶え間のない闘いがおこなわれていた。入ろうとする者もいれば、いったん外に出て、しばらく休んでから、すぐまた戻って来ようとする者もいた。人びとはあちらこちらを歩きまわり、ぶらついて、まるで何かを探してでもいるかのようだった。人波が入口から入って来て、教会中を揺るがし、立派な、重々しい人びとの立っている最前列あたりまで押し寄せた。一心不乱に祈ることなど思いもよらない。祈りは全く行われず、なんだか尽きることのない本能的な子どもっぽい喜びがあるだけだ。その喜びがほとばしり出て、無遠慮な押し合いひしめき合いでも構わない、何かの動きになりたいとするばかりだった。》

●話者は、喧噪のなかに、不在のイエロニームとニコライの像を見いだす。

《群衆の中に融けこんで、みんなの喜ばしい興奮に巻きこまれたわたしは、イエロニームがかわいそうでならなかった。どうして交代してもらえないのだろう。なぜもっと感受性の強くない、敏感でない男を渡し舟にやらないのだろう。

(…)

わたしは人びとの顔を眺めた。どの顔にも祭日の生き生きした表情が浮かんでいた。だが、誰ひとりとして歌われている言葉に耳を傾ける者もなく、それを見きわめようとする者もなかった。「心を奪われ」ている者など一人もなかった。どうしてイエロニームを交代させてやらないのだろう。どこかの壁のあたりに慎ましく佇んで、身を屈めながら、貪るように聖句の美しさを味わおうとしているあのイエロニームの姿を、わたしは思いえがくことができた。今あたりに立っている人びとの耳を素通りして行く全てのことを、彼なら感じやすい魂で貪り呑み、感きわまるまで、心を奪われるまで呑み尽くしたに違いない。そうして、教会に彼ほど幸福な者はいなかったに違いないのだ。ところがその彼は、いま暗い川面を行き来しながら、亡くなった、兄とも慕う友を悼んでいるのだ。》

《わたしは教会を出た。名もない賛美歌作者だった今は亡きニコライをこの目でひと目見たかった。壁沿いに修道層たちの庵室がずらりと並んでいる構内をひとまわりして、いくつかの窓を覗いて見たが、なんにも見えなかったので、引っ返した。今更ニコライに会えなかったことを悔やむつもりはなかった。ひと目見ることができたら、いま心にえがいているような面影は消え失せてしまっているかもしれないのだ。夜ごとイエロニームに声をかけるために川岸まで出向いたり、自作の賛美歌に花や星や陽の光をちりばめたりしながら、理解もされず孤独だったこの好感のもてる詩的な人物を、やさしく、おとなしい、淋しげな顔立ちの、内気な、青白い人のようにわたしは思いえがいている。彼の両眼には、知性と同時に、きっと、やさしさと、賛美歌の一節を引いて聞かせたときのイエロニームの声にこもっていた、あの抑え切れない、子どものような感激が光っていたことだろう。》

●復活祭の夜が過ぎ、朝になってもまだ、イエロニームは渡し舟の上にいた。帰りの渡し船の上で。

《途中、ものうげに立ちのぼる霧を騒がせながら、われわれは進んで行った。誰もが口を噤んでいた。イエロニーム機械的に手を動かしていた。彼は長いこと、そのおとなしい、どんよりした目をわたしたちに動かしていたが、若い商家の女房の、眉の黒い、薔薇色の顔に視線を向けた。彼女はわたしと並んで立って、自分にまとわる霧に黙って身を縮めていた。イエロニームは向こう岸に着くまでずっと、彼女から目を逸らさなかった。

そのじっと見つめる視線には、男性的なものはなかった。その女の顔に、イエロニームが、亡くなった友のやさしい、穏やかな面影を探し求めているかのように、わたしには思われた。》

●ここで話者がみたものはすべて思いこみと幻だったかもしれない。イエロニームとニコライは、たんに教会の嫌われ者でしかなかったかもしれず、イエロニームは何らかの罪を犯してその罰則として渡し舟の担当にさせられていたのかもしれない。最後の場面でイエロニームは商家の女房を性的に見ていただけかもしれない。あるいは、教会の群衆たちは聖歌の美しい聖句をちゃんと味わっていたのかもしれない。そうでないという保証はない。《わたし》が思い浮かべるニコライの面影や、イエロニームの商家の女房への視線がその面影を探るものだという推測には、実のところ何の根拠もない。しかしそれでも、話者が復活祭の夜に見たものは「一つの真として信じるに足るなにものか」としてある。この小説が書いているのはそういうことなのではないか。