2021-09-02

アドルフォ・ビオイ=カサーレス「パウリーナの思い出に」。前に読んだのは『ダブル/ダブル』というアンソロジーに収録されていた菅原克也・訳のものだったが、今回読んだのは、短編集『パウリーナの思い出に』に収録されている高岡麻衣、野村竜仁・訳のもの。この短編小説もまた(ボルヘスのいくつかの小説と同様)、数式のように完璧に組み上げられたもので、これについて語るためにはその前に概要を示す必要があるだろう。つまり、ネタバレなしではこの小説について語れない。

●まず、自分の頭の整理のためにこの短編の概要をまとめる(以下、ネタバレ)。主人公の作家(男性)には、幼い頃からずっと一緒に過ごす、互いに完全に理解し合えていると感じる女性(パウリーナ)がいる。自分は彼女の粗雑な写しであり、彼女の鏡であることによって自分の至らなさが救われる、とさえ思っている。彼女との結婚は当然と感じているが、幼い頃からずっと一緒だったために恋人のように振る舞うことは照れくさくてできないままだ。主人公は、意欲的だが粗野でどこかいけ好かない作家志望の男(モンテーロ)と知り合う。男を自宅に招いた時、男とパウリーナが親しげに話しているのを苦々しく思う。

次にパウリーナに会った時、いつもと様子が違うと感じ、それを告げると「私たちは話さなくても気持ちが通じるのね」と言われる。だがその言葉の意味は、あの日以来、パウリーナとモンテーロは激しく惹かれ会っているということだった。主人公は、生まれて初めてパウリーナを遠く感じ、自分と(あんな男に惹かれる)彼女とはそもそも似てなどいなかったのではないかと疑う。失意の主人公は、留学していったん故郷を離れることにする。出発の前夜、大雨のなかパウリーナが(嫉妬深い)モンテーロに内緒で会いに来てくれる。

二年間の留学から帰る。コーヒーを飲みながら、午後の遅い時間にパウりーナとよくコーヒーを飲んだものだったと穏やかに思い出し、そこではじめて彼女を失った痛みを実感する。ノックの音で扉を開くとパウリーナがいる。彼女は、かつてのあやまちを実際の行為で改めるかのように主人公を導き、二人ははじめて結ばれる(外から雨音が聞こえている)。主人公は幸福な高揚感に包まれるが、パウリーナの言葉にモンテーロの癖がうつっているのを感じ、鏡に映る彼女の姿に違和感を覚えもする。別れ際の言葉も彼女らしくない。彼女を追って外に出るが姿はなく、雨が降った形跡もない。

主人公は、これまで自分が見ていたパウリーナは幻に過ぎず、自分の好みを彼女に投影していただけではないかと疑いながら、鏡に映った彼女への違和感について考えるうち、そこにあるはずのないもの(留学前に彼女にプレゼントした馬の像)が映っていたことに思い至る。

パウリーナの様子が変だったことが気になって、友人にモンテーロと彼女について訪ねると、なんと、主人公が留学のために出発したその日に、パウリーナはモンテーロに殺されていた。モンテーロは、パウリーナが留学前日に自分に内緒で主人公に会っていたことで二人の関係を邪推し、嫉妬して彼女を殺害したのだった。パウリーナは殺される時に、モンテーロとの結婚が間違いで、自分との愛こそが真実だったと気づいて、自分に会いに来てくれたのだ、と主人公は思う。しかし、事実はそうではないことに気づいてしまう。

《パウリーナは、ぼくらの不幸な愛の力で墓からよみがえったわけではなかった。パウリーナの亡霊など存在しない。ぼくが抱きしめたのは、恋敵の嫉妬が生んだ、怪物じみた幻影だったのだ。》

《ぼくは刑務所のモンテーロを想像する。あの男は、ぼくとパウリーナが会った場面を、ひたすら考え、嫉妬心に駆られながら、すさまじい執念で思い描いたのだろう。》

《ぼくが鏡の中の自分に気づかなかったのは、モンテーロがきちんと想像しなかったからだ。寝室の様子も正確さを欠いていた。パウリーナのことさえあいまいだった。モンテーロの幻想が生んだパウリーナは、本人とは似ても似つかず、話し方などもまるでモンテーロのようだった。》

モンテーロは自分の幻想とともに苦しんだが、ぼくは拷問のような現実を受け入れなければならない。パウリーナは、自分自身の愛に幻滅して戻ってきたわけではなかった。ぼくは彼女に愛されたことなどなかった。それだけではない。ぼくがモンテーロを介して知りえたパウリーナの一面を、あの男は実際に見ていたことになる。あのとき---二人の魂がむすばれたと思った瞬間---ぼくはパウリーナが求めるままに愛を誓った。しかし彼女の言葉は、ぼくに向けられたものではなかった。あれはモンテーロが何度も聞いていた言葉だった。》

●最後から二番目の引用部分では、主人公にまだモンテーロへの軽蔑を表現する余裕があるが、最後の引用部分では完全に打ちのめされている。