2021-09-09

●いまさらだが、ようやくスマホにかえた。ガラケーのサービスが来年の三月で終わってしまうことと、ずっと使ってたガラケーが物理的に崩壊しつつあって、これはさすがに限界だと思ったため。周辺の細かいところから部品や塗装が剥落しはじめ、いまや本体全体としてもその形を危うくもかろうじて保てているという風情で、外に持ち歩くことはかなり前からできなくなっている(最近、写真を撮っていないのはそのためだ)。ずっと部屋の中で充電器に差されっぱなしで、メールを受信できる家電となっていた(ガラケー以外に携帯できる時計を持っていないので、ずっと外では時計なしだった)。

契約を続行すれば初期費用なしで使える機種で、スマホとしてはローエンドのものと言えると思うが、ちょっといじってみて驚いたのが、音声認識の精度の高さだ。話したことがほぼ正確に、そのままテキスト化される。カメラによるテキストのスキャンも正確で、本をカメラで撮るとそのままテキスト化される。ずっとガラケーだったので、浦島太郎的に当たり前のことで驚いているだけかもしれないが、音声認識、画像認識、そして(スマホなしでも知っていたが)自動翻訳の精度の向上の速さは驚くべきものがあると思った。

(ただ、ジェイン・ボウルズの「ジェ」が、いろんな言い方でやってみても、どうしても「ゼ」と認識されてしまう。ぼくの発音の問題かもしれないが。さらにしつこく繰り返していると「ゼイン」から「全員」になり、果てには「ジェインボウルズ」が「レインボーローズ」と変換された。何度も同じ音が入力されるのは、発話者が満足していないということだと認識するのだろうが、その反省による改良の結果、さらに要求から離れていてくということが起こる。これは人間間でも起こることかもしれない。ジェイムス・ジョイスの「ジェ」はいけるので、固有名の聞き取りは有名度に左右されるのだろう。これは人間の認識も同じだ。)

(カメラは、好みからするとレンズが---標準でも---広角すぎて、しかも、広角、標準、二倍、五倍と、四種類しかなく、なめらかにズームできないので、フレーミングがかなり不自由だ。前のガラケーカメラはなめらかにズームできたのだったが。二倍、五倍はデジタルズームなので絵が粗くなる。画質はガラケーよりも断然よいといえるが、これではどう使ったらいいのかと戸惑う感じだ。)