2021-10-18

ヴァージニア・ウルフの『灯台へ』(鴻巣友季子・訳)の第一部のクライマックスとも言える一堂が会するディナーの場面で、ウィリアム・バンクスという植物学者の男が、義務的な社交の場に倦んで、こんなことは時間の無駄ですぐにでも自分の仕事に戻りたいと思いながら、しかし表面上はあくまで場にふさわしく振る舞いながら、ふと手持ち無沙汰になって自分の左手を眺める描写。

《まあ、要するにあれだな。ウィリアム・バンクスは隙のない礼儀は少しもくずさぬまま、ただテーブルクロスの上に左手の指を広げ、いつでも使えるようきれいに磨きあげられた工具を技師がひまを見て点検しているかのように眺め、こう思うのだった。》

自分の左手の指を、磨き上げられた工具を見る技師のように眺めるという、常識的に考えれば軽い離人感のようなものを表現しているだろうこの描写を読んで、おもわず小鷹研究室の「あれ」を思い出してしまうのだった。

XRAYSCOPE(XR CREATIVE AWARD 2021)|小鷹研究室

https://www.youtube.com/watch?v=SHEJnlU9sCM

●『灯台へ』の心理描写は、いわゆる「心理描写」とは全然違っているところが面白い。ディナーの中心にいるラムジー夫人が、ふと《自分は夫に心酔している》のだということに気づき、《夫を讃えているのはほかならぬ自分》であるのに、夫のことを《人から褒めてもらった》ように頬を赤らめるという描写(エッシャーの、描き、かつ、描かれる手のような、自分内ループによって生まれる感情)。

《あの人が口をひらくと、すっかりムードが変わるのに。あの人がなにか言うと、「どうか、無関心なわたしの心のうちを見透かされませんように」なんて、みんな思わなくなるのに。だって自然と関心が湧いてくるんですもの。夫人はここで、やはり自分は夫に心酔しているから話しだすのが待ち遠しいのだと気づき、自分の伴侶や結婚を人から褒めてもらったような気がして、頬を紅潮させるのだった。夫を讃えているのはほかならぬ自分だということは考えもせずに。》

しかしこの後、ラムジー夫人が《威容の表れた顔》を期待して夫を見ると、夫は、ごく些細でくだらないことで猿のように怒っていたのだった、というオチがつく。