2021-10-19

●「豪の部屋」の佐佐木一心ゲスト回を観ていて思ったのだが、17歳の女性アイドルと二人きりで、フラットな立場で(お父さんポジション、先生ポジション、上司ポジションに立たなくて、勿論オタクポジションでもない)、二時間の対話ががっつり成立する50歳すぎのおじさんというのは、日本じゅう探しても吉田豪くらいしかいないのではないか。バラエティ番組的な面白話ではなく、普通の話ができて、そこから自然に、相手のキャラクターや、興味深いエピソードが引き出されている。少なくともアイドル業界では、本当に唯一無二の存在なのだな、と。

(若い女性でも、自己主張の強めのアーティスト的な人となら対等な対話を成立させやすいとも思うのだが、ほわほわっとした感じのアイドルの話を---その「ほわほわさ」を面白がるのではなく---「ちゃんと聞いて、ちゃんと返す」というのは「おじさん」という位置の人にとってはとても難しいことのように思う。)

(吉田豪と若いアイドルとの対話は、しばしばカウンセリングモードになると言われるが、カウンセリングモードの対話であれば---それがお説教モードに入ってしまうことを避けるだけの節度をもつ---ある程度立派な年長者なら可能だろうと思う。しかし、「特になんということもない普通の話」を成立させられることが、驚くべきことなのではないか。)

●「火曜TheNIGHT」の「一瞬しかない」ゲスト回。一瞬しかないは、はじめて観たけど、とても面白かった。わら人形の人とか、元フレンチ料理人の人とか、宇宙倫理学に興味をもってNASAに留学した人とか、バックグラウンドの厚みもすごく感じる。「モテすぎたなあと思ってやめました」と言う元フレンチ料理人の人とか、男の多い世界で過去に男女関係で辛い事情があったっぽい感じを漂わせていて、うーん、大変だった末の今なのだろうなあ、となる。

メジャーなシーンでは決して成立しないことが成立するのがライブアイドルの良さだと思う。ライブアイドルは、それを見る目があらかじめ肯定的なものであるという前提によって成り立っている。その視線は、欠点を厳しく指摘する視線ではなく、親戚の子供の運動会を見るような視線であり、出来れば出来たでうれしいが、出来なかったとしてもそれはそれでその人の固有性の表れの一つだ、というように見る目だ(強調したいのだが、これは「上から目線」とは違う)。

「隙の無い完璧な完成度を求める(完璧なのものに驚嘆させられることを求める)目」の前では決して起らないことが、そのような「緩く肯定的な目」の前では起る。「緩く肯定的な目」の前でのみ起るような出来事こそが、この世界の驚嘆すべき一面を顕わにする、のではないか。厳しく客観的な目の前では、世界は法則に従い、奇跡は稀にしか起らないが、緩く肯定的な目の前では、奇跡はだだ漏れになる、とか。

ただ、この回のMCは、アイドルという形態の究極形と言われるほどの完成度を誇った元℃-ute中島早貴だった。「厳しく客観的な目」の前で長くしのぎを削ってきた彼女が、ライブアイドル的な緩さをどう感じるのだろうか。