2021-12-15

●『飛行士の妻』(エリック・ロメール)は、大雑把に三つのパートに分けられる。まず、早朝、フィリップ・マルローが、マリー・リヴィエールとパイロットが二人で連れだって部屋を出るのを目撃してしまい、その件についてマリー・リヴィエールに問いただそうと駆け回るが、ことごとく拒絶されるという最初のパート。次に、カフェで偶然パイロット(後に妻と思われる女性と合流する)を見かけたフィリップ・マルローが二人を尾行し、その行きがかりでアンヌ=マリー・ムーリをナンパすることになる、という二つめのパート。そして、フィリップ・マルローがマリー・リヴィエールの部屋を訪れ、二人で対話する三つめのパート。

そして、この映画のクライマックスを形作るのは、昼間の陽光降り注ぐ公園での、フィリップ・マルローとアンヌ=マリー・ムーリとの対話の場面と、夜の室内での、フィリップ・マルローとマリー・リヴィエールとの(30分を越える)対話の場面だろう(特に後者)。昨日、一昨日の日記に書いた図式や構造は、この二つの場面を成立させるためにあると言っていいと思うし、この二つの場面の成否によって、この作品の成否が決まると言ってもいいと思う。

特に、夜の室内でのフィリップ・マルローとマリー・リヴィエールとの対話の場面は息を呑むような緊迫感がある。マリー・リヴィエールは、朝、パイロットに別れを告げられたことに加え、職場でのトラブルもあって疲弊している。夜、友人との約束があるが、会う時間を遅らせて、一旦部屋に戻って休むことにするが、気が立って眠れない。そこへフィリップ・マルローが部屋を訪れる。マリー・リヴィエールは昼の間、フィリップ・マルローのことを完全に拒絶している。観客としてはここまで、二人が本当につき合っているようには見えず、フィリップ・マルローが一方的につきまとっているのではないかとすら感じているので、彼女が彼をすんなりと部屋に通すことをやや意外に感じ、ここでほぼはじめて、やはり二人はつき合っているのだなと納得する。

とはいえ、彼女は彼が自分との距離を近づけようとするのを拒否し、彼女に近づき彼女に触れようとする彼(切迫した感情に駆られ余裕がない)と、それを拒絶する彼女(刺々しくて苛立っている)との間に、二人の距離の伸縮についての緊迫した攻防がしばらくつづく。ベッドと大小二つのクッション、あるいは玄関脇の小物棚などの日常的なオブジェクトを巧みに用いつつ、近づこうとする力と離そうとする力の緊迫した攻防が(特に大げさな身振りなどを用いることなく)描写される。この間、二人は言い争っていて、この言い争いは10分以上つづき、緩急がありながらも(彼女は、刺々しかったり、柔らかくなったり、感情的になったりと、かなり波がある)次第に激しくなっていく。言い争いの激しさがピークに達し、彼がもうこれ以上の対話の持続に堪えられないと部屋を去ろうとするその時、それまで一貫して彼を拒絶しつづけていた彼女が一転して「帰らないで」と言う。

急転直下、この一言により二人の関係は変化する。映画の開始以来、ここではじめて二人の関係が棘のない柔らかなものになり、彼女は拒絶の姿勢を解いて彼を受け入れ、二人の身体が密着する。今晩はもうこのまま、二人で密着したまま過ごすのだろうという雰囲気を漂わせるのだが、しばらくすると彼女はふっと彼から離れる。友人との約束があるから出かけるのだ、と。これは今までのような拒絶の身振りとは違った「自然な距離のとり方」で、彼もそれを特にとがめない。とがめはしないが、遠回しに「出かけないでほしい、出かけなくてもいいじゃん」みたいな(今までとは打って変わって余裕げにだが)雰囲気を出す。そして二人は再び密着する(この密着的融和のなかでの対話で、飛行士の妻だと思っていた女性が実は妹だったと知る)。

朝までつづくかに思われた二人の密着状態が崩れるのは、彼が彼女に、昼間の公園でナンパしたという話をしたのが原因だろう。彼女はそれについて怒ることなく、笑いながら話を聞いているのだが、徐々に、少しずつ、彼女は彼から距離をとっていき(これは二人の関係が破綻するというものではなく、今夜の密着的雰囲気を壊したということであろうが)、友人との約束のために出かける準備を始める。

小さな部屋、数少ない小道具のなかにいる、たった二人の人物の間の距離の伸縮と感情の変化だけで、30分を越える時間、緊張感を持続させることに成功しているということは、やはり驚くべきことだと思う。確かに、驚くべきすごいことなのだが、それが面白いかと言われると、よく分からないということになってしまう(昼の公園の場面は、迷いなく「面白い」と思うのだが)。