2022/02/02

●配信がもうすぐ終わってしまうので、『本陣殺人事件』(高林陽一)をU-NEXTで観た。角川がメディアミックスで横溝正史を売り出すより前に、ATGでつくられた高林陽一の商業映画第一作(市川崑の『犬神家の一族』が1976年で、この作品は1975年なので、この映画が作られる時点ではまだ、後にアイコン化する石坂浩二古谷一行によるあの「金田一耕助」像はできていなかった)。高林としては、それまでアートフィルムでやってきたことと、商業的な作品として要請されることとのとの折衷点として、横溝正史のこの原作があったのではないかと、観ていて感じた。市川崑による金田一耕助シリーズが、エンターテイメントとして、原作の複雑な話をできる限り明快に整理して(ある程度毒抜きした上で)、手際よくテンポよく語ることに徹している(一方で物語をきっちり語りつつも、もう一方でスターの顔見世興行的な豪華感もあった)のに対して、この作品は大島渚の『儀式』などに通じるような作品としてつくられている。

ただ、ぼくが面白いと思ったのは、密室をつくりだす物理トリックが、ピタゴラスイッチみたいにしてきっちり再現されているところ。水車によって巻き取られる琴の弦に吊り下げられた日本刀がすーっと宙を移動して、木の幹に刺さっている鎌の刃にひっかかって弦が切れると、日本刀が落下して地面に突き刺さる。これが、犯人によるリハーサルと、実際の犯行時、そして探偵による再現時と、三回繰り返して示されて、三回ともその過程をけっこうちゃんと見せている。

高林陽一は、70年代後半から80年代はじめにかけて、かなり精力的に商業映画をつくっていて、意外なことに商業一作目は(インディペンデント作家として盟友であった)大林宣彦よりも早いのだということをウィキペディアで知った(『HOUSE ハウス』が1977年)。大林が商業映画の監督としての地位を確立するのが82年の『転校生』、83年の『時をかける少女』くらいの時期だとすると、ちょうどその時期に高林は商業作品から遠ざかっている(『本陣殺人事件』の音楽は大林宣彦)。

おそらく大林宣彦がつくったのであろう、作中で鈴子が歌う「呪いの歌」みたいな歌のメロディが、高橋洋っぽく聞こえて印象に残った。