2022/02/19

●昨日の日記の最後で、『ドライブ・マイ・カー』で西島秀俊の死んだ娘と三浦透子が同じ年齢という設定にすると、二人の関係が代理的な父娘のようになってしまって安易ではないかということを書いたのだが、考えてみると、西島が父親ポジションに立とうとするのを三浦が突っぱねる(三浦はあくまでも三浦自身として自分の呪いと向かい合う)というようなニュアンスも感じ取れる。あるいは、西島自身も、自らが思わず父親ポジションに立とうとしてしまうことを抑制的に自己批判しているフシもある。徐々に近づくとはいえ、二人の間には常に距離と緊張があり、安易に擬似的な父娘的関係になだれ込まないという抑制こそがこの映画の持続を支えているとも言える。だからここでは、分かりやすい餌を投げた上で、それを批判的にひっくり返していると言うべきかもしれない。ひっくり返せているかどうかはともかく、少なくとも「餌」的なものの誘惑に対して慎重で抑制的であるという態度を提示してはいるのだなと、思い直した。

いや、「餌」という言い方はよくないかもしれないが、『ドライブ・マイ・カー』では、物語的に「あやうい球」を投げておいて、それがあとから批判的に検討されたり反転したりするということがかなり複雑に仕込まれていると思う。

●それにしてもこの映画のロードムービー感のなさ。これは悪口でも嫌味でもなく、そういう映画ではない、ということだ。物語上でも、三浦透子の運転の技術は、運動の喜びに向かうものではなく、乗っている人に車に乗っていることを忘れさせるほど静かに走行するという---反運動的---方向に発揮されるものだ。

(その静かな運転には親の呪いが貼り付いているが、その呪いこそが、彼女の車に対する丁寧さを生み、彼女の生計を支え、彼女と西島との関係を媒介するものでもある。ただ、そのリミッターが外れて、彼女が、車に多少負担をかけてでも粗くて官能的な運転をする時、呪いがその時だけちょっと解かれるのかも。)

(追記。時系列的に考えると、岡田将生霧島れいかから聞いたという「監視カメラに向かって《わたしが殺しました》と言う」話を西島秀俊にする場面は、その直前に実際に彼が人を殴り殺した---その時点ではまだ死んでいないとしても---直後ということになる。改めてそれを意識すると、岡田将生がこの作品の比喩体系を自らの「行為」と「言葉」---自分のした現実の殺人を他人の物語=比喩のなかに混ぜ込んでしまうというカテゴリーミステイク---によって破壊したということを、生々しく感じられる。岡田将生は作品の構造を内破して反転させる存在であるが、反転を起こす爆弾である「その場面」は映画のなかに存在しない。)

(いや、今気づいたのだが、これは逆に考えることもできる。岡田将生は、霧島れいかの遺した言葉=比喩に導かれるようにして、監視カメラ前で実際に人を殺してしまうのだ、と。これでも、比喩と現実とのカテゴリーミステイクが起るのだが、しかしこれだと、霧島れいか預言者とするオイディプス的な物語になってしまって、物語のわりと普通のパターンになってしまう。)

(西島は、自分が霧島を殺したと言い、三浦は、自分が母を殺したと言い、そして岡田は、自分が盗撮者を殺したと言う。しかし、西島と三浦の「殺した」は多分に比喩的であり、それは彼らの精神に実際に殺したのと同等かもしれないくらいの大きな負い目を与えるとしても、リテラルな意味では殺したとは言えない。しかし岡田のみが、自ら手を下し、リテラルに「殺した」のだ。律儀に、生真面目に、比喩とリテラルの境、虚と実の境を、彼だけが超えてしまう。そのことが、比喩的な「殺した」を批判する、あるいは相対化する、と言っていいのか? あるいは、岡田がリテラルに「殺した」からこそ、その行為によって虚と実の境が可視化され、虚の領域が確保されたからこそ、西島は舞台の上に戻ることができた、と。)