2022/02/24

●『オールド・ジョイ』(ケリー・ライカート)をU-NEXTで観た。なんと大胆な映画だろうか。二人のおっさんと一匹の犬がピクニックに出かける。二人の間には決定的な距離があり、しかし、それでもギリギリのところで、共にいるという親密さが二人の関係を繋いでいる。ほとんどそれだけの映画。

男1は妻帯者であり、妻は妊娠している。地域のコミュニティにも積極的に参加し、車のなかではラジオの政治的な討論番組を聴いている。男2は、いい歳をして放浪生活のようなことをしている。数学は分からないが超弦理論の本質的なところは自分にも分かる、宇宙は涙のしずくの形をして落下し続けている、とか、そういう浮ついたことしか言わない。男1は、妻との関係がギクシャクしており、自分の堅実な生活に疲れているように見える。男2も、自分の浮ついた人生が無価値なものではないかという思いがあるようだ。若い頃に仲が良かったらしいそんな二人が、車で山に向かう。

目的地は温泉のようだが、道に迷って見つからず、ゴミが不法投棄されているような場所にテントをたてて一泊することになる。目的地はみつからない、どんどん暗くなる、妻から電話がある、結局ゴミ捨て場のようなところで眠る。という展開。聴かなくなったレコードが捨てられずに倉庫にある、いずれ売ろうと思う。いや、そのレコード屋はもうない、今はスムージーを売っている。我々の時代はもう終わった。都市も山も変わらない、都市にも緑があるし、山にもゴミがある。会話も上滑りで噛み合わない。焚き火の前で空気銃で空き缶を撃つ無為の時間に、男2はふと、男1への距離を語る。冴えないおっさん二人の澱んだ時間がつづく。

一泊して朝になり(後片付けと立ち小便)、レストランで地図をもらって改めて温泉を目指す。山道をどんどん奥へと進み、ようやく温泉にたどり着く。おっさん二人が黙々と服を脱いで裸になり、温泉に浸かる。無言。ただ温泉に浸かっている。山奥の緑と、鳥や虫たち。そこで男2が夢の話をする。男1は「今、俺は風呂に浸かっている」という放心した顔でそれを聞く。そして、男2は「悲しみは古くなった喜びなんだ」という、この一言を言うためにこの映画がある、というような言葉を発する。男2が男1の肩をマッサージする。

次のカットがすばらしい。軽く湯あたりしたようなけだるさと、しかし同時に、温泉に入ったことで多少なりとも心身がほぐされたという軽やかさ、その両方を感じさせるような、山道を歩く二人の後ろ姿。何も変わらないし、何も解決していない。このまま帰れば、各々の、決して交わることのない別々の現実が待っている。それでも、共に温泉に浸かることで共有された何かがあり、それによってほぐされた強ばりがある。