2022/03/03

●『アダプテーション』(スパイク・ジョーンズ)をU-NEXTで観た。すごく凝った構成なので退屈することはなかったが、面白いというほどでもないか、と思った。自分自身の内側に自分自身が何重にも折り畳まれているという意味で、自己言及的な襞構造になっている。

一方に、ニコラス・ケイジによる、意図的に誇張された紋切り型の演技があり、もう一方には、どっしりと厚みを感じさせるメリス・ストリープの大女優的な名演技があって(しかしこの名演技も最後には台無しになるのだが)、その噛み合わなさが、この作品にとって良いことなのか悪いことなのか。

映画のなかでニコラス・ケイジが書いている脚本が、「この映画」の脚本ということになるので、すべてはニコラス・ケイジの頭のなかの出来事だと言えなくもないのだが、メリル・ストリープの存在の厚みが、すべてを一人の「脳内」に解決させることを拒んでいるように見える。この映画でこんな演技する? みたいな、すごい貫禄だ。それがこの作品にとって良いことなのか悪いことなのか。

脚本家のニコラス・ケイジにとって、原作者のメリル・ストリープは「自分の世界」には還元できない他者なので、それは良いことになるのだろう。「自分の世界」を強く持つ脚本家にとっての、他者の作品をアダプテーションすることの困難が、この作品の主題だと言える。だが、試行錯誤しつつも、結局は自分の世界と原作者の世界とは分離したままで並立されることになる(並行する双子の主題はこのような構造の反映だろう)。そして、二つの分離した流れを統合するラストの展開は、自分の世界でも、原作者の世界でもなく、脚本教室の講師の助言に従ってしまうわけで、これこそが原作者以上に強い他者だったということになる。「自分なりのアダプテーション」は失敗し、ハリウッド式の脚本の原理が勝つという皮肉な終わり方(『マルコヴィッチの穴』を書いた天才脚本家が、素人に混じって脚本講座を受講し、それによってアダプテーションの完成に漕ぎ着ける)。