2022/03/06

●妄想的な思いつきだが…。

(まず常識として)独裁者をつくらないために死守すべき最低限のルールは、権力者の在任期間の制限だと思われる。どんなに優秀な人でも、どんなに立派な人格者でも、たとえ後任の人材に不安があろうと、一定期間を過ぎた権力者は交替させる。長い時間権力の座にあるだけで、その権力者と関係をもつ者が既得権化して、権力が固着化する。逆にいえば、これを破ろうとする人は危険だ。自分の在任期間中に、在任期限の延長を可能にするようにルールに手をつける権力者は、すでにその時点で危険な独裁者だろう。

(最高権力者でも簡単には「在任期間ルール」を動かせないような強い縛りをかけておく必要がある。)

で、最高権力者だけでなく、本来なら、国会議員や地方議員も、知事や市長なども、たとえば二期つづけて当選した人は次の選挙に出られない(強制的な一回休み)、あるいは、四期務めた人は自動的に引退となる(任期の制限)、というようにした方がいいのではないかと思うのだが。休みになった人や引退した人は、自分の経験を生かして新しい議員のサポートにまわればよいのではないか。休みの間を「勉強する時間」とすることも可能だ。能力を生かす道は残すとしても、権力は自動的に移動させる。

(いわゆる「院政を敷く」可能性はあるが、そもそも、権力者でいられる時間がそれほど長くないので、特定の人の影響力が極端に大きくはなりにくいのではないか。)

(定年制にするのは、年齢差別になるし、議員にも「世代の多様性」があった方がよいと思われるので適切でないだろう。しかし、長く居る=年寄りになることで権力が増すという状態もよくないので、年齢ではなく、在任期間何年以上で引退というルールがあるとよいのではないか。)

(ポピュリズム世襲の効果によって、たとえば開票率ゼロパーセントで当確が出てしまうような「選挙に強すぎる人」が生まれてしまうのも、権力の長期化という点で---そして、選挙に行く意味が見いだせなくなるという点でも---よくないことだろう。党内の政治力から比例リストの上位に常にいる人も、民意が反映されないという意味で問題だ。そういう人にも、三回に一回は休んでもらうことで、その一回が新しい別の人の出てくるチャンスになる、というのはよいのではないか。制度による自動的シャッフルによって「強すぎる権力」をつくらないための工夫。)

これでは「大物」が育たないのかもしれない。しかし、「政治家しかやったことのない政治の大物」のような人はいない方がよいのではないか。若い時に様々なキャリアを積んだ人が、ある年齢で地方議員になって四期務め(間に一回休みがある)、期限をまっとうした後に知事を何期かやり(あるいは、一度元の仕事に戻り)、後に国会議員を四期務めて(間に一回休み)、その最後の一期は首相、というのは可能で、政治家としてけっこう立派なキャリアとなるのではないか。

ただ、権力は政治的権力だけではないので、政治家の権力が相対的に弱くなることで、政治家が、それとは別の仕方で強い権力をもつ者を抑制することが難しくなる、ということになるのかもしれない。

(独裁者は、その人が優秀であるならば、実は効率的で合理的なシステムではある。判断や意思決定が早く、トップダウンで様々なことが実現可能だ。しかし、大きすぎる権力は暴走した時に誰も止められなくなるし、ある時期に優秀だった人がいつまでも優秀でありづけるとは限らない。逆に考えれば、厳しく「期間限定」であれば、腐敗や癒着があったとしても限定的だろうし、独裁者でも大丈夫かもしれない。しかし実際は、「独裁者への依存」が起ることで、期間限定という縛りが崩れてしまうという危険が大きい。だからやはり避けるべきだろう。)

問題は、(政治的権力に限らず)決定的に強い権力を持つ者をつくらないためにはどういう「仕組み」が必要か、ということで、VECTIONによる下のテキストもそのような問題意識によって書かれた。

(我々の最初の---五、六年くらい前の---問題意識は、「大学」や「文壇」などの権威を用いずに、レビュアーのレビューを適切に行う、つまり、「査読済み」のような一定の質の保証を分散化して行う非権威主義的レビューシステムを、ブロックチェーンを用いればつくることが可能ではないか、というものだったのだが…。)

「権力分立と希望の幾何学 多様性ジャンケン・センサー計画経済・三権分立(VECTION)」「エクリ」

ekrits.jp