2022/05/26

●(昨日からのつづき)「ブロッコリー・レボリューション」(岡田利規)には、特徴的な文の形がある。例えば一つ短めのやつを引用する。

(1)《きみたちは、車はバイパスをようやく抜けてさらに広々とした道幅の大通りへとでていた、それでもまだ渋滞だった。》

ここで最初に示される「きみたちは」という主語は、次の「車はバイパスを…」という文の流れのなかでしばらく着地場所を見つけられないまま浮遊し、「大通りへとでていた」によって引き受けられる(きみたちは、大通りへとでていた)のだが、しかし、この「大通りへとでていた」の直近の主語は「車は」だと考えられ(車は、大通りへとでていた)、主語が二重化されているとも言えるが、近い主語の方が強いので、「きみたちは」は、一応着地はするけど、着地場所を「車は」にとられて、半ば浮遊したまま解決しないようにも感じられる。常識的になめらかな文にするのならば、主語を「きみたちの乗る車は」にするところを、「きみたちは」と「車は」とが分離することで、一回腰を上げて、その腰を下ろさないまま、もう一回腰を上げる、みたいな感じになる。そして、一回目に上げた腰は、腰を下ろした後もなおも浮いているような感じで残る。「きみたち」にはちゃんとした着地感がない。

(2)《きみはレオテーに、それはホテルの前の通りに並ぶたくさんの食堂のうちの、魚介のメニューが豊富なレストランで食事をしているときだった、実は数日前からバンコクにいるとようやくメッセージを送った。》

(3)《きみは、レオテーがテキストメッセージにはいつも即座に返信をよこすのに待ち合わせに約束の時間通りに来ることはまずなかった、待ちぼうけならすでに何度か食らっていたからその性向はよくわかっていた、それなのに約束の時間にはもうそこに出ていた。》

(2)も(3)も、構造は同一で、一つの文のなかに別の文が押し入っている。例えば(2)なら、《それはホテルの前の通りに並ぶたくさんの食堂のうちの、魚介のメニューが豊富なレストランで食事をしているときだった。きみはレオテーに、実は数日前からバンコクにいるとようやくメッセージを送った。》と、文を二つに分けて書けばなめらかに流れる。あるいは、《きみはレオテーに、(それはホテルの前の通りに並ぶたくさんの食堂のうちの、魚介のメニューが豊富なレストランで食事をしているときだった)実は数日前からバンコクにいるとようやくメッセージを送った。》と、括弧に入れることで文のなかに文が織り込まれている構造を視覚的に示すと読みやすくなる。しかしそうしないのは、「きみは」という主語が、浮遊したままで簡単には着地先を見つけられない、主語(きみは)の軽い迷子状態をキープさせたいからだろう。そしてそれこそが「きみ」がバンコクで置かれている状況と重なる。

●この小説では、「ぼく」も「レオテー」もどちらも、その土地の「問題」を「観光」として消費するような、根無し草のように浮遊する「きみ」の態度に対して批判的だが、しかし、この小説の中心にいるのはあくまで「きみ」であり、もっとも長く、かつ詳細に、強い表現として描かれているのは、タイという土地をあくまで他人の国として経験する、「きみ」が感じている解放的で浮遊し振動する微小な感覚なのだ。この小説の魅力の多くもそこにあると言っていいと思う。もちろん、それだけでいいのか、いいはずはない、という問いを(土台として)強く含みつつも、なお、そうである、という点が重要なのだが。

そして、この小説でもう一つとても重要なのは「わたしは無力である」という強い認識だ。問題に対して無自覚なまま観光として消費することへの「苛立ち」を強くもちつつ、しかし問題を自覚したとしても(「自覚しなければならない」のだとしても)無力であることには変わりない。『三月の5日間』の男が、「ラブホの連泊が終わったら戦争も終わっていればいいな」と、ふにゃっとしたことを口にすることができるだけなのと同様に、この小説のレオテーも「ブロッコリー・レボリューションが本当に起こるといいな」というような、ふにゃっとしたことを「言える」だけなのだ。彼女は決して「勇ましい」ことを言わずに、すすり泣く。

(「文学」はこれだからいけない、と考える人も多くいるだろう。)

●この小説のラストを、どう考えればいいのか。ワールドカップのロシア大会の決勝、クロアチア対フランス戦で、ロシアのパンクバンドでありアクティビストであるプッシーライオットのメンバーが試合中にグランドに入り込む。「きみ」はそれを、ホテルの部屋のテレビで観ている。これは、なにかしらに対する抗議行動であろう。しかしそれは次のように書かれる。《警察官の制服のような白いシャツに黒いズボンという出で立ちをした人が、女性もいたし男性もいた、一人、二人、三人と映り込んだ、ピッチのなかで全力疾走していた。ただし全力疾走といっても、それは実にヘラヘラしている全力疾走だった。》《選手たちのそばを駆け抜けていく際、彼らにハイ・タッチを求めたりもしていた、なかにはそれに応じた選手もいた。乱入者たちは、ほどなくして係員に取り押さえられた、抵抗を見せることはなく、おとなしくピッチの外へと連れ出されていった。》