2022/10/21

iMacにはディスクドライブが付いていないので、Amazonで最も安いブルーレイドライブを買ったのだが(6000円くらいのやつ)、けっきょく、安いものを買って損をするということになった。一応作動するが、頻繁にエラーが出て、勝手に映像がスキップされる。映画を観ていても何度も勝手にスキップするので、その度に巻き戻さなくてはならなくなる。

●そういう状態で、久々に『ヴィレッジ・オン・ザ・ヴィレッジ』(黒川幸則)を観た。『にわのすなば』とあまりにトーンがちがうので驚いた(しかし、ここに既にスケボーがあった、と気づいた)。そうそう、「ヴィレッジ…」は、速くて騒がしい映画だったと思い出した。変なカット割りとかけっこうあるし、ギュッと凝縮されている感じ。おそらくこのトーンは、主演の田中淳一郎のキャラと身体能力によって決定されていたのではないかと思った。シャツの上からも筋肉がバキバキに決まっている(体脂肪率が限りなく低い)のが分かる。歩き方からして筋肉質的だ。だが、ムキムキのマッチョではなく、シルエットとしてはしゅっとしている。そういう人が、走ったり、飛び跳ねたり、逆立ちしたりする。『にわのすなば』には、そういう人は一人も出てこない。ラスト近くのキタガワのダンス以外は、人が激しく動くことがない(サカグチは、それほど高くない金網を乗り越えることすらできない)。リズムはゆったりしているし、緩やかで、ギュッと「詰め込んだ」感じがない。男女の関係から恋愛や性愛の匂いがしない(「ヴィレッジ…」の「なかちゃん」は普通に女好きだ)。そして何より、(起伏に富んだ「ヴィレッジ…」の土地と異なり)地形が平坦で風景に掴みどころがない(だが、希少で貴重な「斜面」がとても有効に使われている)。

対照的とも言える二本の映画に、共通した色をつけているのが、柴田千紘によるモノローグだと感じた。正確には、「ヴィレッジ…」ではモノローグではなく(二回ある)電話の場面だが。携帯を手に、今、ここにいない友人に語りかける言葉は、本当は存在しない誰かに語りかけているかのように虚空に響く。そして、『にわのすなば』で、紋切型しか口にしないタノさんが、不意に、誰でもない誰かに向かって、自分の言葉の空疎さについて語り始める。どちらも場合も、今まで観てきた世界とは「別の側面」が、この映画の世界に存在することが意識され、そして、それによって顕在的な世界にも亀裂が走り、何がしかの変化が起こる。

(そして、どちらも「川」の映画だという共通点もある。)