2022/10/24

●6000円くらいで買った安物のブルーレイドライブだが、やはり、DVDを観ようとすると、あまりに頻繁に映像を勝手にスキップするので観てられない(21日の日記参照)。だが、試しにCDを再生してみたら、こちらはちゃんと再生できるようだ。最近では、CDで音楽を聴くことがめっきりなくなったが(ここ何年もCDを買ってない)、せっかくなので、CDを色々かけてみる。配信では聴けないようなやつ。高橋悠治中山千夏の『ぼくは12歳』とか、「JVC WORLD SOUNDS」シリーズとか、山下達郎とか。

●渋い。「感性とは古くなったテクノロジーのことだ」という柄谷行人の言葉(うろ覚え、出典忘れた、『日本近代文学の起源』だったか?)を思い出す。そういえば、コロナ前に少しだけ通院していた町医者(お爺さん)の診察机の上には、90年代のPower Macintosh があって、フロッピーが刺さっていた。

時代遅れ?フロッピーディスク販売業営む米男性、商売は「繁盛」

 

《在在飛んでいる飛行機の約3分の1から半分ほどが、20年前に製造されたものだということは、ほとんどの人が知らない。20-40年前の飛行機の製造に携わった人は、その機体の電子機器の一部でのデータの出し入れにフロッピーを使っていたはずだ。》

《このディスクを必要とする限り、私はここにいるつもりだ、でもそれは永遠ではない。》

●例えば、今、アトリエにあるキャンバス張り器とガンタッカーは、学生時代どころか浪人時代から使っているものだし、制作中のキャンバスを床から浮かせるために噛ませるコンクリートブロックは、大学のアトリエで使っていた物をそのまま今でも使っている(大学に入ったのが89年だから、八十年代からずっと使っていることになる)。物としての道具はまさに一生モノだが、一方、IT機器は周囲の環境に合わせてアップデートしないと使えなくなってしまう。だが、ITと物とがつながっている場合、技術として古くなったとしても、物の方が現役ならば、その間は古い技術が必要となり、「物」によって生かされるような形で、ニッチな場で生き続けることにななる。