2022/11/03

Netflixで『チェンソーマン』の4話まで観た(原作は未読)。ここまでの展開では、「デビルマン」が始まったのかと思ったら「うる星やつら」だった、みたいに感じた(キャラの強い美少女と同居というのは「エヴァ」のシンジとアスカなのかもしれないが)。思いの外、少年マンガ臭が強いのが気になった(少年マンガって今でもまだこういう感じなのか、と)。主人公のモチベーションを支えるのが「胸を揉む」であることによって、「デビルマン」のリアリティが後退し「うる星やつら」的ファンタジーに近づく。ただ、今のところそちらの傾向が強く出ているということで、今後の展開によってはどうなるかはまだ分からない(原作未読だし、どんな話なのか知らなかったし、この先どんな風に展開するのかも全く知らない)。

少年マンガでよく使われる「胸を揉む」という「欲望のポップな形式化」は、一方で、性的加害の隠蔽(性的加害のポップ化)であると同時に、もう一方で、強い性欲を持つが未だ性行為に至ることのできない少年の欲望の生々しさの隠蔽(悶々とした欲望のポップ化)でもあると思われる。後者の意味において「胸を揉む」は、一般化されて無毒化(紋切り型化)されたフェティシズムの表現であり、リアリティの欠如と引き換えに、それを口にしても過度に生々しくならないことを(ある程度は)保証された欲望の表現形態だと言えるだろうと思う。紋切り型化によって「貧しい」欲望となった「胸を揉む」が、生まれながらにして何ものも与えられず、最低限の生活がそのまま「夢の生活」であるような主人公の、まともに希望や欲望を持つことさえ許されない「強いられた貧しさ」の表現となっている、と、言えなくもないのかもしれない(少年マンガ的紋切り型を逆手にとって利用している、と、言えなくもないかもしれない)。

主人公が、自分の「欲望(希望)の貧しさ」を自覚し、その貧しさを「行為の強さ(強い悪魔と戦って勝つ)」によって補填しようとする描写があるのが興味深かった。自分の薄っぺらな欲望(胸を揉む)に基づいた行為が、お前たちの崇高な目的(すべての人間を食べ尽くす)に基づいた行為に勝つことを通じて、「あらかじめ貧しくあるしかない自分の欲望」を肯定する、というような。

(とんでもない嘘つきで、騙されて散々酷い目に合わされた相手であったとしても、そこに「性欲」が介在すると「天使」に見えてしまうという単純な欲望原理が主人公を動かしているということ―「うる星やつら」のあたる的性質―が、今後の展開にどう影響するのだろうか。)