2022/12/19

(昨日のちょっとした補足)

●我々がある程度は排他的であらざるを得ないのは、資源が有限だからだろう。もし仮に、資源が無限にあり、相容れない者たちを完璧に隔てるゾーイングが可能なだけの空間の広がりがあるならは、どこまでも際限なく寛容に多様性を受け入れることができる。しかし現実はそうではないので、現実的な条件の元で受け入れ可能な最大の多様性はどの程度になるのか、そして可能な最大値の実現のための具体的な方法は何かということが(とても切実な)問題になる。

つまりこれは、技術的で工学的な問いということだ。しかしここには、「多様性はできうる限り認められるべきだ」というリベラルな思想が入っている。これは自明なことではない。多様性を認めることを耐え難い(許し難い)と感じる人もまた、この世界にはとても多く存在するからだ。だから、思想の問題が消えることもない(思想がなければ、どのような技術が求められるか決められない)。とはいえ、思想だけではどうにもならない。

(実現のアテのない思想(だけ)を掲げることで、他人を圧迫したり、苦痛を強いたり、また、それを利用して権力を得ようとする人は数多く存在する。)