2022/12/25

●「にわのすなば」のパンフレットにはおまけとして脚本がついてくる。普段、脚本を読むという習慣がないからなおさらそう感じるのかもしれないが、脚本というもののもつやけにのっぺりとした表情に戸惑いを感じる。そして、この「のっぺりとしたもの」から、実際に出来上がるべき「映画」への距離の遠さにクラクラする。

脚本を読むと、そのシーンが実際どのようなものだったのかを思い出すことが逆に困難になるくらいに、脚本と映画とが遠く感じられる。ここから、俳優が決められ、ロケする場所が決められ、カメラの位置が決められ、俳優の立ち位置や動きが決められ、演技が決められ、カット割りが決められ、そしてその上から音が被せられる。脚本と映画の間に、とても多くのアイデアと掛けられる手間ひまがあることが、その厚みが、脚本というものののっぺりした表情によって、ある具体性を持った感触としてウワッと浮かび上がってくるようだ。

そして、もしこれを自分が演出するとしたら、と考えると、すごく面倒で大変だろうと思うと同時に、ワクワクするような感覚も表れててくる。