⚫︎『姫様“拷問”の時間です』というアニメをU-NEXTで4話まで観た。一体、何を見せられているのだろうという気持ちになる。国王軍と魔王軍のあいだで戦争が行われており、国王軍の「姫様」が魔王軍の捕虜になってしまい、軍事上の秘密を聞き出すために日々拷問が行われる。しかしここで「拷問」とは、「北風と太陽」で言う「太陽側」の拷問で、つまり魔王側の拷問官が姫様にひたすら気持ち良くなってもらうようにアイデアを凝らして奉仕する。姫であると同時に騎士でもあって、幼い頃から厳しい環境と強い抑圧の元で生きてきた姫様は、この快楽の奉仕にいとも簡単におちてしまい、ペラペラと自軍の秘密を喋ってしまうのだが、魔王軍の王である魔王様は、自軍に有利なはずのその情報を、なんだかんだ言って全く採用せず(そもそも戦争をしている気配があまりない)、故に拷問官は、有用な情報を聞き出すまで、ひたすら拷問という奉仕を続ける。
最初は、特に面白いとも思わなかったが、しかし、どこまで行ってもただひたすら姫様に幸福になってもらうための状況設定が次々と出てきて、ひたすら幸福を感じている姫様の描写ばかりが続いていくのを観るうちに、観ている側も気持ち良くなってニヤニヤしてしまう。いや、知らぬ間にニヤニヤを超えて感動的な気持ちにさえなる。物語上の工夫も知的な刺激も特になく、毒も皮肉もアイロニーもなく、幸福のスパイスとなる感傷もなく、何かへの批判もない。ただ、どんな時に人は幸福を感じるのかというアイデアが、さまざまな方向から(次はこうくるのか、という意外性はある)繰り出されるのみだ。ここまで徹底して「幸福」しかない、それ以外に何もない、ただそれだけでエンタメとして成立している作品が他にあっただろうか、と、口をあんぐりと開けて画面を観続ける。
色々な考えが浮かぶ。いくらなんでもこんなに他愛のないものを観て喜んでいていいのか。こんなものを観て癒されなければやっていけないほど今の日本で生きることは辛いのか。これは知的な退廃以外のなにものでもないのではないか。人々を思考停止に陥らせるための何かの罠なのではないか。など。しかし、まあ、姫様が幸福で、それを観ている我々も幸福なら、これはこれでいいのではないか。なにも、フィクションが「ハードな現実」を反映していなければならないという決まりなどないはずだ。「温泉」のようなフィクションがあってもいいのではないか。これこそがマティスの言う「安楽椅子のような作品」ではないか。いや、でも…。
これでいいのか…、いや、これでいいのだ、…いや、しかし、本当にこれでいいのか…。ひたすらに幸福を浴びせられつつ、自問自答を繰り返す。