2024/07/15

⚫︎理想の状態を考えて、それに向かって活動し、ゆくゆくは「革命」を目指すというやり方は、その「理想の状態」に少しでも瑕疵があると根本から破綻してしまう。そうではなくて、現状よりは多少はマシになるのではないかというアイデアを、特区とか、あるいはゲームなどを使ったシミュレーションによって、ごく限定された範囲で試してみて、それがうまくいくようだったら、少しずつその範囲を拡大させていくというやり方をするしかないのではないか。試してみて、何が問題なのかを検証するよりも前に、イデオロギーの戦いが始まってしまうと、もうどうしようもなくなる。

もちろん、どのような状態を「良い」とするのかという「評価」の時点で「思想」が必須になる。思想よりも実利が優先だといったとしても、何をもって実利とし、どのような実利を、誰にとっての実利を優先するのかというところに、否応なく「思想」が入ってくる。逆に言えば、「思想」が必要になるのはこの地点だ。

差し当たって、思想、目標、方法という三つの次元を分けて考えることが必要になる。思想は、「良い」とは何か「悪い」とは何かという価値の根本の問題であり、目標は、仮にそのような価値感を持つとすれば、具体的にどのような状況になるのが望ましいのかという具体像だろう。そして、方法は、その目標に至るために考えられる、とり得る過程・筋道のことだ。

ただしこれは、必ずしも、思想→目的→方法と、トップダウン的に決まるとは限らない。このような思想だから、目的はこうで、その方法はこうでなければならない、という順番とは限らない。相互にゆるく結びつきながら、思想と目標と方法が、互いに批判しあったり、補強しあったりして、同時にブラッシュアップされていく。

たとえば、新しい技術によって、今まで不可能だった方法が可能になったとする。通常は、新しい方法だけがあっても、目的や思想がなければ、目新しさ以外に意味がないものになってしまう。実際、そのような「新しさ」は掃いて捨てるほどある。とはいえ、新しい技術によって初めて構想可能になった「新しい目標」が生まれ、そしてその技術→目標によって初めて、構想し、その是非を検討することができる「新しい思想」が生まれるというボトムアップ的な思想の出現もあり得る。

そのような場合、最初にあった「方法」のなかに、潜在的に「思想」が懐胎されていたことになる。そして、その潜在的な「思想」を裏切り、踏み外さないように配慮しながら、目標や思想を育て上げていくことになる。潜在的に「思想」があったとしても、方法の段階にいる状態ではそれを意識的に知っているわけではない。だからそれは未知に向かう探究であり、あるのかないのか、事前にはわからない道を手探りに辿っていく過程となる。

この「新しい方法」は、本当に「新しい思想」にまで辿り着くことができるのだろうか。辿ってみるまではわからない道を(何度も足場を検証しながら)辿っていく。道を辿る過程で「思想」が徐々に生まれてくるかもしれないし、生まれてこないかもしれない。根拠はなく「いけるかも」という感触が頼り。こうして、最初の段落に戻っていく。

《理想の状態を考えて、それに向かって活動し、ゆくゆくは「革命」を目指すというやり方は、その「理想の状態」に少しでも瑕疵があると根本から破綻してしまう。そうではなくて、現状よりは多少はマシになるのではないかというアイデアを、特区とか、あるいはゲームなどを使ったシミュレーションによって、ごく限定された範囲で試してみて、それがうまくいくようだったら、少しずつその範囲を拡大させていくというやり方をするしかないのではないか。試してみて、何が問題なのかを検証するよりも前に、イデオロギーの戦いが始まってしまうと、もうどうしようもなくなる。》

⚫︎上記は「作品の制作」をモデルに考えている。