2024-09-30

⚫︎美唄市の沼東小学校の円形校舎は、廃墟としてかなり有名だと思うけど、内部の構造がよくわかる動画を観たのは初めて。

半世紀前の水没校舎を森の奥に訪ねた【我路円形校舎・沼東小学校】

https://www.youtube.com/watch?v=aNhHWsF11tM&t=928s

これを観ると、中央にある螺旋階段以外の空間は、基本的に中心から等しく外へと広がっており、中心以外はどこもほぼ均質だと言えて、この建物の内部で過ごしていると、自分が、今、この建物の中の「どの位置」にいるのか分からない(ふっと、位置を失う)という感覚になるのではないかと思える。

複雑な迷路のなかで位置を失うのではなく、印や方向を欠いた並置される均質(というより同質)な空間の中で位置を失うというのはかなり人工的な経験で、自然な日常のなかではそうそう得られないものだと思う。

ただ、完全に均質になってしまわないように、中央の螺旋階段とは別に、もう一つ、サブ的な、真っ直ぐ上り下りする狭めの階段が作られていて、これがあることで、同質な空間の並置にわずかな偏りが生まれ、「片隅」のような空間が生まれる。このような「偏り」とか「片隅」がないと、日常生活をそこで過ごす空間としては厳しい感じになってしまうだろう。

(ただしここは学校であり、一年を通じて「自分の教室」は決まっているだろうから、「自分の教室」という意味的要素によって、空間に自然と偏りと濃淡が生まれるのかもしれない。だがもしかすると逆に、「自分の教室」という濃い意味作用があるからこそ、別の教室が、あたかも「自分の教室」であるかのように取り違えられてしまうという体験が強烈に来る、ということもあるのかもしれない、などと、色々想像してしまう。)