⚫︎ふと思ったのだが、ぼくにとって「色彩」は、精神分析を逃れるものなのかもしれない。それは欠如とも関係ないし、欲望の擬似餌(対象a)でもない。それ自体として、過不足なく欲望を満たすもの。色はそれ自体で、ただただわたしを満たす。
なぜ、ミニマリストは着る服も黒か白なのだろう、と思った。ものを持たず、服も最小限しか持たないとしても、その服が豊かな色彩を持っていてもいいのではないか、と。ただ彼らは、ものを持ちたくないというよりも、欲望を持ちたくないのだろう。色彩とは、まさに邪魔な欲望そのものなのかもしれない。
しかし、色彩は、欲望を刺激するのではなく、ただ満たす。色彩は、欲望であると同時にそれ自体で欲望の成就でもある。色彩は、欲望を惹起させると同時に、即、満たす。
欲望をギリギリまで削ぎ落とそうとする指向性(ミニマリスト)と、欲望をただ満たすもの(色彩)とは、確かに相性は良くないのかもしれない。
(精神分析的には、眼-視覚対象という部分欲動のセットなのだろうが、色彩は、口唇と乳房とか、肛門と糞便とかと、そういう穴-摩擦的な欲動とは質が異なるように思われる。もちろん、目が見えなければ色彩は感じられないが、色彩という経験の質は、視覚的なものともちょっと違う感じがある。)
(色彩は像ではない ? 色彩は想像界に属さない ? )
(色彩の経験は、味の経験と似ているかもしれないが、味は、食べること=空腹を満たすことと切り離せない。色彩は、何かしらの欠如を満たすのではなく、ただ満たす。)