⚫︎物理法則や数学的な真は多数決によっては決まらない。たとえ、それを理解する人が世界中で数十人しか存在しない難解な数学的問題があったとして、それを理解する数十人以外の世界中のすべての人の反感や反発があったとしても、それによってその真が揺らぐことはない(つまり、「現実」は存在する)。
⚫︎(「現実」に近づき得ると期待される)準-真理を導く手法としての集合知は、それぞれに多様な、(独自の経験や知やコネクションに基づく)独自の判断アルゴリズムと判断材料を持つなるべく多くの人々が、それぞれ個別に独自な判断を下し、それが統計的手法によって集約されることで発揮される。ただし、集合知の脆弱性は、対話や議論によって発現してしまう。他人と話し合うことで、口が上手い奴、魅力的な奴の発言の方に引っ張られ、同調が生じて、判断の独自性が消えてしまう(という傾向がある)。
魅力的な人、あるいは権威的な人に、人は同調する。口の上手い嘘つきが、ある特定の意図を持った発言を繰り返すことで、準-真理への手法としての集合知は脆くも破壊される。
⚫︎利害をめぐる政治的闘争は、利害関係者や利害関係者を代表する者たちによる多数化工作であろう。この場合、その利害とは直接関係のない、無関心で常識的な無党派層が存在する。この、無関心で常識的な無党派層が一定数、集団的意思決定のプロセスに参加するのならば、彼らによって、利害的な権力闘争とは別の次元で、集合知が機能することが期待される(民主主義の可能性)。
(あるいは、「現実」が、利害関係を超えた倫理を、利害関係者に対しても要求してくる場合もある。たとえば環境問題など。)
だがそこに、特定の意図を持った、魅力的で口の上手い嘘つき(もちろん、そこには利己的な動機がある)が参加すると、その魅力的な口ぶりは、利害関係を超えて伝播してしまうので、同調を作り出す(それは「嘘」のヴェールなので、「現実」による倫理的要請の機能をも覆い隠す)。そこに利害関係や真偽とは無関係の、心理的肩入れが生まれる。個別で独自の判断は破壊され、ここではもう集合知は期待できない。
⚫︎魅力的で口の上手い嘘つきが、繰り返し文明を破壊してきたのは歴史をみれば明らかだろう。その度に、それに対抗するためのさまざまな制度を人々は考案してきたはずだ。しかし、その有効性は常に限定的である。だが、限定的であるとはいっても、(いろいろ蓄積もあるはずだし)まったく無力ではないと信じたい。