2024-11-23

⚫︎下にあるのは、アークタイムスの尾形聡彦のTwitterのポストで、添付されている動画は、兵庫の選挙での斉藤候補の演説の現場を撮影したもの。話題の女性が選挙カーの上に登っていく様などが映っている。

だが、とりあえずいったん、そのような社会的、政治的な意味を括弧に入れてこの動画を観ると、まるでゴダールの映画のワンカットを観ているようでとても面白い。別の系列にある、それぞれ異なるリズムと展開を持つ、いくつもの出来事が、時間的にもとても短い、一つのフレーム、一つのカットの中に、ギュギュッと、ぐちゃっと、圧縮されて詰め込まれている。

車がゆっくりとバックし、斉藤候補が呼びかけに答えるように振り向いて手を振りながらフレームアウトし、カメラと三脚を持った男性が斉藤候補のあとを追い、青い服の話題の女性が(背中をポンと叩かれて)選挙カーの演台の上へと登っていき、(反斉藤の)プラカードを掲げた男性が左右に行き来し、選挙カーの窓の脇にいる白いレインコートの男性がおそらくマイクだと思われるものを車内から出して選挙カーの上(演台)へと受け渡し、その他、何人もの人々がフレームをそれぞれのタイミングとリズムで縦横斜めに通り過ぎていく。このような多様な運動が、とても小さな切り取り窓(ワンカット)の中に集約されている。何度観ても見入ってしまうくらい面白い。こんな複雑なカットを意識的に作ろうとするならば、頭をフル回転させつつ、長い時間かけてリハーサルをしつこく繰り返す必要があるだろう。

(それとは別に、「意味的」にも、この映像には重要なアクターがたくさん映り込んでいるらしく、その意味で面白いという側面もあるようだ。)

これはもうぼんやりとした夢想でしかないのだが、このようなカットばかりが積み重ねられて出来ている映像作品を作れないものだろうかと、動画の「意味」とはまったく無関係なことを考えてしまうのだった。