2024-11-24

⚫︎ネットにあった『マルサの女をマルサする』をなんとなく観はじめたら、面白くて最後まで観てしまった。これは、1987年の伊丹十三が監督した映画『マルサの女』のメイキングで、この時点ではまだ『変態家族 兄貴の嫁さん』を作っただけだった周防正行が監督している。この頃はまだ、伊丹十三と(蓮實の影響下にある)黒沢清周防正行といった立教系の若手の映画作家たちとの関係も良好だったのだろう。

マルサの女』は、伊丹十三の三作目の監督作品で、それ以前の二作(『お葬式』『タンポポ』)は、アート系というか、シネフィル寄りの映画だったが、三作目からあからさまにエンタメの方へと方向転換して、それが大ヒットして、これ以降の伊丹十三の方向性を決定づけたと言っていい作品だと思う。

で、この作品が面白いのは、いわゆる「メイキング」の枠に収まらずに、映画制作りかなり奥まで食い込んで追っかけているところだ。おそらく伊丹十三の全面的な協力がなければここまでは踏み込めなかっただろう。まずいきなり、この映画の予算表が示され、美術費がいくらで、俳優へのギャラがいくらで、総額で、1億6千3百50万円だ、とはっきり示される。さらに、これは予定であって、実際には二億数千万かかった、と。そして、撮影よりも前の、キャスティングの過程、カメラテスト、主演の宮本信子のメイクやカツラ(髪型)を決定する過程(ここ、かなりたっぷりある)、ロケハン(ロケハン時の風景と、それが映画となったらこうなった、みたいな比較もあり、脚本上での記述と撮影される場所の比較もある)、セットの設計に関する話し合い(監督とスタッフの話し合いだけでなく、プロデューサーとスタッフとの予算上での折衝なども)、セットの空間構築の意図、スタッフルームの様子、俳優たちの衣装合わせ、衣装スタッフが作った場面ごとの衣装ファイル、そして、撮影前の、監督によるスタッフたちへの「この映画の基本方針」の説明(ここでコンセプトがかなり具体的で明確にあることがわかる)が、詳しく示される。1時間50分くらいの作品で、撮影初日に至るまで25分くらいが費やされている。

撮影に入ってからも、単なる撮影風景ではなく、現場でのスタッフの具体的に動きと同時に、その場面がどのような意図で組み立てられていて、だからこそ、スタッフたちがこのように動き、俳優の演技がこうなって、カメラがこの位置にある、ということが、撮影時の光景と、出来上がった作品が比較されるだけでなく、過去の伊丹作品たちとも比較されて、検討されていく。宣伝用のメイキングというよりも、これから映画を作りたいと考えている人たちに向けた、一つの具体例として「伊丹十三の映画術」の開示であり、伊丹十三は自分の手の内を、かなり深いところまで見せてしまっている。そして、この時点で「若い映画作家」だった周防正行は、監督へのインタビューのような安易なやり方ではなく、撮影の現場とそのプロセスを注意深く観察し、それを出来上がった作品と比較するというやり方で、先輩の監督の仕事に分析的に迫っていく。実作者による、(メイキングの制作という)実作を通じての、これから実作者になろうとする人に向けた、「伊丹十三論」のような作品になっている。

伊丹十三はここで、自分の創作における「手の内」を、若い映画作家である周防正行に対して開示し、それを記録し、分析し、外へと向けて発表することを許しているということだろう。ここに、伊丹十三の、自分の仕事に対する自負と、寛容、そして若い映画作家への責任の取り方、というものを感じる。

(でも、その後、黒沢清と揉めることになってしまうのだが。)