2024-12-03

⚫︎U-NEXTで『蛇の道』(黒沢清)、2024年版。ラストがちょっと違う以外は、基本的なアイデアや展開はオリジナルとあまり変わらない。ただ、主演が哀川翔から柴咲コウになり、90分の映画が120分の映画になったという変化は大きいと思った。柴咲コウの「夫」が「リモート」で出てくるというのも大きい違いか。

(柴咲コウが「精神科医」というのはちょっとベタすぎないかとは思った。)

オリジナル版は、必ずしも「哀川翔の映画」というわけではないが、2024年版は明確に「柴咲コウの映画」になっていると思う。内情とかはまったく知らないが、柴咲コウと仕事をするという話がまずあって、それならこういう企画がいいのではないか、みたいなことなのではないか(根拠のない推測)。90年代の黒沢清は明確に「男性的」な映画作家で、女性はいつも「傍」にしかいないが、徐々に意識的に女性俳優を前面に出すようになり、特に最近の『旅のおわり世界のはじまり』、『スパイの妻』、『蛇の道』という三作でははっきりと女性を中心に据えた映画が続いている。特に『蛇の道』は、外国という環境で、外国人に囲まれ、セリフも外国語でという、アウェイの中で柴咲コウが自然に一人際立つという形になっている。

(追記。一人の女性を、外国の慣れない環境に置いて孤立させることでその存在を際立たせるというやり方は、前田敦子主演の『セブンスコード』、『旅のおわり世界のはじまり』で試みられているが、『蛇の道』も、そのやや違った角度からのバージョンとも言えるのではないか。)

また、オリジナルの90分の映画のリズムだったら、西島秀俊の場面とか、街でお茶している間に警察に咎められる場面とか、そういうのはいらないという感じになるだろう。緑の中で寝袋を引き摺って逃げている場面のカット数が明らかに多い、とか。リズム感が明らかに違う感じ。

ぼくとしてはオリジナル版の方が好きだ、というのはもうどうしようもない。90年代の黒沢清には、90年代の黒沢清にしかない独自の質感があり、それは今の黒沢清にはない。もちろん黒沢清が悪いということではなく、作家が時代と共に変化し、成熟したりするのは当然で、90年代の黒沢清を特別視するのはあくまで「ぼくの側の事情」でしかない。

(追記。オリジナルでは、哀川翔は子どもたちに数学を教える塾講師だった。それも、学習塾ではなく、特別な数学的資質を持つ子どもたちにとても高度な数学を教えている講師で、「ここでプライとマイナスを間違えると宇宙がひっくり返っちゃうぞ」みたいなことを言う。この飛躍力はおそらく脚本の高橋洋によるものだと思われ、黒沢清にはこのような、ある意味で陰謀論的とも言える想像力はなくて、けっこう「精神科医」みたいな常識的な設定に落ち着いてしまいがちなところがあると思う。まあ、この2024年版では突飛な想像力は必要ないと思うが、それでも精神科医はベタすぎるのではないかと思った。)