2024-12-14

⚫︎マティスの「ピアノのレッスン」(1916年)。この絵にあるのはまず、空間の虚実反転だろう。描かれているのは、ピアノと、その向こうの人物。手前に彫刻。そして、背後に壁と窓(直線的な窓枠と渦巻くフェンス)。そして、ピアノの後ろの壁には大型の絵がかけられている。リアルな部分は、ピアノの上面以外は、ほぼ平面的に処理されている(しかし、窓枠が微妙に立体的なのが、実はこの絵の最大のポイントなのだが、それは後述する)。マネの「アトリエでの昼食」と同様に、モノと床との設置面は描かれない(そもそも床が見えない)。ゆえに、何とも重なっていない、画面向かって左下の彫刻の「位置(他のモノたちとの前後関係)」がわからない(不確定)。

しかし、背後にかかっている絵の中には、床が描かれ、床の上には立体的な椅子があり、立体的な人物が座っている。そして、椅子の手前には肌色の家具のようなものが置かれている。つまり、家具、床、椅子と人物、さらにその奥という前後関係が描かれ、絵の中には明確に奥行きがある。

つまり、リアルな空間は平面的で、平面的であるはずの絵のフレーム内が奥行きを感じるように描かれている。

絵の中の奥行きは、絵の外にあるはずの、ピアノ、窓枠、黒い譜面台、人物というモノたちとの連続性を感じさせることで、現実空間に介入する。ピアノの上面の赤(ピアノの上面との設置面が見えるメトロノームと鈴(というかベル ? )の位置関係が、現実空間内でほぼ唯一の奥行き感を生んでいる)、窓枠の下の方、譜面台の黒、人物の頭部というリアル世界から、ヴァーチャルな床、家具、椅子へ向かって、画面の中央下から向かって右上へと傾斜するようなパースペクティブ的な傾きを感じさせ、あたかも、ピアノの上面から絵の奥へと、奥行きがあるかのような感覚が生じる。この、リアルとバーチャルを貫通して空間のイリュージョンを生む疑似的遠近法は、「アトリエでの昼食」の画面左側の、青年、女性、壺の関係を想起させる(マネの女性と壺は一応は ? リアルであってヴァーチャルではないが)。

だからこの絵は、向かって右側の、リアルからヴァーチャルへと連なっている偽の奥行きのある領域と、左側の、窓と壁、そして位置の確定できない彫刻のある平面的な領域との二つに、まずは分けることができる。

そして、この二つの領域を媒介しつつ、この絵の空間の特異性というか、空間を活性化し、ぴっと背筋が伸びるような緊張感を形作っているのが、中央からやや向かって右寄りにある、壁とも、絵の内部ともつかない、他よりやや明るいブルーグレーの縦長の色の帯と、部屋の内側へと向かって開いている直線的な窓枠だろう。

まず、明るいグレーの色の帯の形と面積とが、おそらく画面の八割以上を占めるであろう灰色の広がりと絶妙のバランスで釣り合うことで、この絵が現す感覚を生き生きと活性化している。もちろんそこには、緑、赤、黒、肌色(≒焦茶色)部分の、面積と分散的配置も密接に干渉しているわけだが。

それだけでも充分に魅力的なのだが、何よりもこの絵をすごいものにしているのは、部屋の内側へと向かって開いた窓枠が作る、なんとも絶妙な空間(奥行き)なのだと思われる。

この細い、明るいプルーグレーの窓枠は、画面上部では、ほとんど背景の灰色と溶け込んでおり、平面的に見える。しかし、下部になり、ピアノに近づくにつれて、明らかに、壁の位置、あるいはフエンスの位置から、手前側に向かって突き出してくるような幅が感じられる表現になってくる。明度が上がり、背景のフェンスの横軸も窓枠近くは暗くなっているし、上下二つある窓枠の水平部分の下の方は、上に比べて少し斜め下がってパースペクティブが強調され、奥がブルーグレーなのに対し、手前側は明確に白く明るくなっている。

(向かって左側の窓枠は、背景の壁よりも暗いブルーグレーで壁よりもむしろ沈んで見え、右の窓枠はそれとの対比でより前へ出る。)

これによって(フェンスと窓枠とピアノとの関係によって)、、背後の壁とピアノとの間にほんのわずかな、しかしかなり生々しい三次元的な空間(幅)のイリュージョンが生まれる(この生々しさは、絵の中の奥行きとは現れ方が異なる)。

下手をすると、この画面空間全体を破綻させてしまいかねない、画面空間の統べる秩序からすれば異質である、この部分の生じる、このわずかな「三次元的な幅のイリュージョン」が、この作品を驚くべき傑作にしていると思う。試しに、この部分を隠して観てみると、全体がかなりべたっと平板になる。

(左下にある「位置の確定しない彫刻」も、ここだけ異質でかなりやばいのだが。)

 

↓この白い囲みの部分の作る空間=厚み。