2025-02-10

⚫︎ある「正論(と、みなされているもの)」に対する強い違和感があるとする。この違和感を何らかの形で表明したいと考える。しかし、これを表明すると確実にボコボコに叩かれることが予想される(場合によっては友達を失うかもしれない)。それでもなお表明しようとするのならば、想定される「叩き」に対抗できる程度の強さと合理性を持つ反論を用意しなければならない。

だから、正論(と、みなされているもの)に違和感をぶつけることができるのは、ある程度以上に頭がいいか、教育を受ける機会を得た人に限られる。そうでない人は、モヤモヤを抱えつつ黙るか、ネットで匿名でうさを晴らすかするしかなくなってしまう。

これは明確な抑圧である。言論に対して、言論で対抗できるのは、ごくごく一部の限られた人でしかない。

(議論に長けた人と、そうでない人が議論することは、格闘家とそうでない人とが喧嘩するのと同じくらいに「一方的な暴力」である。)

(正義、公共性、革命の大義、のためには、小さな痛みや違和感は踏みにじられても仕方がないという考えを容認できない。)

だから、何らかの形で、誰でもが等しく、「言語」を用いずに、言語化できない苦痛や違和感を表明することができるための装置が社会には必要だろうと考える。そのための制度として、VECTIONでは「苦痛トークン」というものを考えた。これにより、なぜ苦痛なのか、何が苦痛なのか、さえ言語化できなくても、「なぜだかわからないが苦痛を感じる」ということを、匿名で表現できるようになる。

(もちろん、このアイデアが完璧だなどとは思っていない。例えば「苦痛を定量化できるのか」「私の苦痛と他者の苦痛を比較できるのか」、あるいは「この制度を受け入れる組織側のメリットがない」「悪意を持った集団的攻撃に対するセキュリティの問題」など、問題は多々あるし、実際に運用しようとするならば、技術的なものも含めて乗り越えなければならない課題も数多く残されている。それでも「このような問題意識がある」ことを表明するのは、この問題について多くの人たちが考えてくれるようになることを望むからだ。)

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あるいは、「ふわっとしたイメージ」による意見集約の重要性について。

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