2025-02-13

⚫︎人間は誰でも、多かれ少なかれ(さまざまな異なるあり方で)気持ち悪い。気持ち悪くない人などいない。他人の気持ち悪さをどの程度受け入れられるか(許せるか)ということが、そのまま、自分の気持ち悪さをどの程度肯定できるのかということに繋がるのではないか。他人の持ち悪さを強く否定してしまうと、自分の中にある気持ち悪さもまた、抑圧したり、否定したりするしかなくなる。それはとても苦しいし、そのような潔癖は誰のためにもならない。他人の気持ち悪さをある程度は拭け入れることで、自分の気持ち悪さもまた容認するという方がずっといいように思う。わたしも気持ち悪いし、あなたも気持ち悪い。それを認めた上で(気持ち悪いということは前提として)、現実上で互いに最低限の節度を保ってあるにはどうすればいいのかを考えるのがいいのではないか。

(決して受け入れられない、一線を越えた気持ち悪さというのもあるだろう。それについてどう考えるかはまた別の話だ。また、受け入れられる/受け入れられない、の境界線も、人、それぞれで異なるだろう。)

(既に何度も書いたことだが、「倫理的に問題がある(倫理的判断)」ことと「気持ち悪い(美的判断)」ことを混同するのは良くない。人には「気持ち悪くある」権利がある。)