2025-03-24

⚫︎最近は、ミステリ小説だけでなく、ミステリにかんする批評もたくさん読んでいる。そこには、叙述トリックは意図的な「言い落とし」によって成立すると書かれている。叙述トリックの話者は、嘘はついていないが、意図的な「言い落とし」によって読者のミスリードを誘う。嘘は言わない(ということに建前上なっている)が、意識的に重要なことを「言わない」ことで、読者の臆見を利用して、「真実」を見えなくする。

(叙述トリックにもまた、後期クイーン的問題が発生し、叙述トリックの果てに最後に明かされる「真実」でさえ、話者によってさらに上位階層で誘導されたトリックなのではないかという「疑い」を、作品内で完全に晴らすことはできない、ということになる。「言い落としがない」ということを、メタレベルを用いずに証明することはできない。)

叙述トリックにおける「言い落とし」は話者(とその背後の作者)によって、読者をミスリードに誘うという意図によって「設計された」ものである。ゆえに、そこで生じた「世界の空隙」は、真相が明かされることで回収される。世界の「穴」は合理的に埋められる。しかし、それを読んでいる時に感じられ続けている、「この世界には根本的な欠落があるのではないか」という感覚は、フィクション内における整合的でロジカルな「穴埋め」によって消えるわけではない。読者は「合理的な穴埋め」を楽しむというより、むしろ「この世界には根本的な欠落があるのではないか」という感覚の方にに惹かれて、ミステリを読むのではないか。

⚫︎そもそも、すべてを隙なく記述することなど不可能なのだから、「言い落とし」のない小説などあり得ない。というか、穴や空隙のない「世界」などあり得ない、のではないか。

⚫︎物事の背面(裏側)や深層に、何か秘密が隠されているのではなく、世界は充実した事物たちによって稠密に構築されているのでもなくて、世界には隙間や空隙が至る所にあり、その隙間から、異世界や並行世界が侵入してきて、知らぬ間に(シームレスに)世界を別ものに変質させてしまう(追記、その「変質」は事後的にしかわからない)。あるいは、世界はそもそも、隙間だらけの断片の寄せ集めであり、それを底で支えるしっかりした基盤などなく(基盤こそがイリュージョンであり)、その都度の断片の組み換わりによって、それを支えているかのように思われた基底面そのものがいつの間にか入れ替わって別様になっている。

たとえばセザンヌの絵画において、タッチとその背後の空隙との関係が示しているのはそのような世界像であり、そこには、基盤も根拠もない世界の中で、有(タッチ)と空(空隙)とが絡み合うことでかろうじて「図と地」という構造が生まれ、基盤も根拠もない中から、イメージや事物が、それを存在させている時間や空間との構造と同時に生成されている様が示されている。

だから、有(タッチ)と空(空隙)との配列が少し乱れただけで事物も時空もともに消失してしまうし(ただタッチの乱立があるだけになる)、配列の構造が変われば事物と時空の関係が根本から変化してしまう(別の物理法則が支配する世界 ? )。

セザンヌの絵画が示しているのは、世界の底のなさ(そもそも世界の底が抜けているということ)と、しかし同時に、底の抜けた世界の中でかろうじてギリギリに、時空構造と事物が危うくも成り立っているということ(ランディングサイト ? )との、その拮抗するあり方そのものだ。

⚫︎叙述トリックのミステリにおけるリアリティが、「この世界には根本的な欠落があるのではないか」という感覚の方にこそあるのだとしても、それでもなおそこに「(それ自体本当に信用できるかどうか危ういものとして)合理的な解決」があるということと、セザンヌの絵画において、「そもそも世界の底が抜けている」という感覚が示されるのと同時に、それでも事物と時空構造がギリギリで成り立っているということとは、パラレルであるのかもしれない。

⚫︎いや、そうではなくて、「合理的な解決」があることにより物事の裏側や深層という次元(深さ)が遠近法的に作画され、そこから秘密・裏切り・悪意・悪徳といった「魅惑的なもの」が生産されるということなのか。

(追記。笠井潔は『探偵小説と叙述トリック』の四章「叙述トリックと探偵小説の無底性」において、本格ミステリの「隠す」という意図のある「言い落とし」と、小説一般にみられる、すべてを記述できないことによる「省略」とを同一視することを批判しているが、そもそも「言い落とし(隠蔽)」と「省略」との違いは、作品という「体系」が完結した後に事後的・遡行的に(配置・文脈によって)判別することしかできないのではないか。さらには、新たな読み=解釈によって、「言い落とし」と「省略」との意味が入れ替わることもあり得る。たとえば、精神分析的な読みが、たんなる省略と見えるところに隠蔽的な主体の関与を嗅ぎとるということは、普通にある。だから「言い落とし」と「省略」とは綺麗に分けられない。「言い落とし」が「省略」に、「省略」が「言い落とし」に切り替わるかもしれない「未来の可能性」を、現在時において否定し尽くすことはできないと思われる。)