⚫︎実際に現物を見ているわけではないが、映像や図面を見る限りでも、ル・コルビュジエの「サヴォア邸」でまず目が行く(というか、気に掛かる)のは、建物のほぼ中心部分をドーンと貫くスロープの存在だろう。
・VILLA SAVOYE I LE CORBUSIER I A WALK THROUGH IN 4K
https://www.youtube.com/watch?v=F2LQhINrFzw&t=1041s
このスロープについて、西沢立衛がとても説得力のあることを書いていた(『立衛散考』「ル・コルビュジエの話 1」)。
このスロープは、(1)自由な平面の破壊、であり、(2)階層を並列化して回遊性を高めるもの、であり、(3)建物の中心と外とを反転させるもの、である、と。
(1)について。ここで、「自由な平面」とは、コルビュジエ自身が提唱する近代建築の五原則(ピロティ、自由な平面、自由な立面、水平連続窓、屋上庭園)の一つで、要は、床と柱と階段によって建物を構造的に支えることが可能になったので、「壁」が構造と無関係になり、フロアを自由にレイアウトすることができるようになった、ということだろう。コルビュジエは、自分が提唱したこの「自由」を自ら壊してみせている、と。
《「サヴォア邸」の平面を見て誰もが不思議に思うのは、ドミノ平面のど真ん中に、建物の大きさに似つかわしくないくらい巨大なスロープが、どかんと置かれていることです。「ラ・ロッシュ=ジャン・ヌレ邸」では、スロープは空間の隅の方に、邪魔にならないように置かれていて、またそれは二階と三階をつなぐ部分的な存在だったのですが、「サヴォア邸」では本格的に建物のど真ん中に来て、全フロアを貫く中心となります。スロープは平面の大きさに対してあまりに大きく、ドミノの命ともいえる平面の自由さを打ち壊してしまっているかのようです。ここにぼくは、ある破壊的な力を感じます。平面の自由さを言いたいのであれば、階段とかスロープとかはもっと隅っこに、隅の方に寄せて、自由な平面を大きく良い形で確保すべきです。(…)コルビュジエは自由な平面をつくるだけでなく、壊したいのだと思います。》
(2)について。この大きなスロープは、一階、二階、屋上と、縦に積み上げられた空間を、斜めに繋ぐことで、半ば、横に並んだ連続的なひとつの平面に近いものにする。階層による区別をなくし、スロープまで含めた一つの面とする。
《(…)各階が驚くほどスムーズにつながって、各階平面同士がつながっていく連続感が生まれます。その連続感は、建築的散策路が目指したことでもありますが、自由な平面が目指していたことでもあるとも言える。だから単なる破壊というよりは、より高次のものを創造しているとも言えます。》
(3)について。これこそがまさに、コルビュジエ的な時空間構造の「ねじれ」にあたる。一番内側が外と連続していて、内と外とがくるくる反転する。
《もうひとつ「サヴォア邸」のスロープで面白いなと思うのは、「ラ・ロッシュ=ジャン・ヌレ邸」ではスロープは室内移動のためのものでしたが、「サヴォア邸」では中と外を結ぶ装置、もしくは中に外を導入する装置になっていることです。このスロープはど真ん中にある割には、常に外部空間につながっている。一階でピロティに囲まれ、二階では中庭、三階では屋上庭園と、外部が室内に入り込むようなところに登場します。自動車でピロティに来て、そのままスロープで屋上庭園へという一連の流れは、外から始まって外に終わるというもので、やはりこのスロープは潜在的には、白いキューブという建築の閉鎖的で静的な箱を壊し、つくり直す意図があるように思えます。》
(追記。サヴォア邸について、はじめから水漏れや雨漏りがひどかったとかいって、建築家の設計する家は住みにくいと批判的なことをいう人もいるが、常識的に考えて、それは建築家の責任ではなく、施工業者の責任ではないだろうか。)
⚫︎また、西沢立衛はこの本の別のテキストで、今度はコルビュジエの作品集(本)を取り上げ、コルビュジエが建築を見る、4種類の「眺め方」を挙げている。(1)遠望(遠くから眺める)、(2)俯瞰(上から眺める)、(3)移動(移動しながら眺める)、(4)空想(眺めない)。で、(1)から(3)までについてはテキストで具体的に書かれるのだが、(4)についての記述はまったくない。とはいえ、建築を見るときの見方として「空想(眺めない)」が入っていることはとても重要ではないかと思った。あくまで(1)から(3)までがたっぷりあったその上でということだが、「空想(眺めない)」こそが最重要かもしれない。
