⚫︎昨日の日記の「補遺」として、昨日引用した「要約」だけではわかりにくかった、マクタガートの時間論についても、Gemini 2.5 proに説明してもらった。ただし、いきなり、マクタガートの、時間の「A系列」と「B系列」、および「時間の非実在性の証明」について説明してください、という問い方をするとハルシネーションを起こす可能性があるので、ハーマンの「Objects as the Root of Time」というテキストに限定して、ハーマンがこのテキストでマクタガートについてどのように説明しているのか、という聞き方をした。
プロンプトは、《マクダガートの時間論について、このテキストに書かれている範囲で、1600字程度で、やや詳しめに解説してください。言語は日本語でおねがしいます。》「1600字」の根拠は、だいたいそのくらい必要かな、という直感でしかない。
(下に引用するGemini 2.5 proの回答を読みながら、もう随分前に読もうとして、何度読み返しても途中でわからなくなってそのまま放置してある、郡司ペギオ幸夫『時間の正体』のことを思い出した。今、読み返せば、前よりかはわかるだろうか。)
ハーマンのテキストにおけるマクタガート時間論の解説
グレアム・ハーマンは、自身の哲学体系であるオブジェクト指向存在論(OOO)における時間論を精緻化する上で、20世紀初頭のイギリスの哲学者J.M.E.マクタガートの議論を重要な比較対象として取り上げています。マクタガートは「時間の非実在性」を論じたことで知られ、ハーマン自身の時間論もまた、時間を現実の「表面」に限定するという点で、既存の時間観とは一線を画すため、両者の対話は極めて重要です。ハーマンはマクタガートの分析の鋭さを認めつつも、OOOの立場からその限界を指摘し、乗り越えようと試みます。
時間の二つの系列:A系列とB系列
ハーマンがまず注目するのは、マクタガートが時間の分析の出発点として提示した、時間の二つの異なる側面、「A系列」と「B系列」という有名な区別です。
- B系列(B Series): これは、「より早い(earlier than)」「より遅い(later than)」という、出来事の間に存在する不変の関係の連なりを指します。例えば、「ローマ帝国の建国はアメリカ合衆国の建国より早い」という関係は、永遠に変わりません。ハーマンが指摘するように、マクタガートはこのB系列だけでは、私たちが一般的に「時間」と呼ぶものを構成するには不十分だと考えました。なぜなら、B系列は静的な順序を示すだけであり、時間にとって不可欠な**「変化」**の概念を含んでいないからです。
- A系列(A Series): これは、「過去」「現在」「未来」という、出来事が持つ変化する規定の連なりです。ある出来事は、最初は未来であり、やがて現在となり、そして過去へと移り変わっていきます。マクタガートによれば、あらゆる「変化」はこのA系列においてのみ生じます。したがって、B系列よりもA系列の方が、時間にとってより根源的な要素であると彼は考えました。
時間の非実在性の証明
マクタガートの議論の核心は、時間にとって根源的であるはずのこのA系列が、論理的に自己矛盾を抱えているため、A系列、ひいては時間そのものが実在し得ないと証明する点にあります。ハーマンは、この証明の要点を次のように整理しています。
- 矛盾の指摘: A系列において、いかなる出来事(あるいは時点)も、「過去」「現在」「未来」という三つの規定をすべて持つことになります。しかし、これらは互いに両立不可能な、矛盾した規定です。あるものが同時に過去であり、かつ現在であることはあり得ません。
- 循環論法への批判: この矛盾に対し、「ある出来事は、これらの規定を同時に持つのではなく、異なる時点で持つのだ」という反論が予想されます。しかし、マクタガートはこの反論を退けます。なぜなら、「異なる時点で」という説明は、それ自体が「時間」の概念をすでに前提としており、証明すべき対象を用いて証明しようとする循環論法に陥っているからです。
- A系列の主観性: さらにハーマンが強調するように、マクタガートは、A系列が客観的な現実に妥当すると考える積極的な理由は何もない、と主張します。では、なぜ私たちは「過去・現在・未来」という区別を信じるのか。マクタガートによれば、その信念の起源は、私たちの主観的な経験、すなわち「知覚(現在)」「記憶(過去)」「予測(未来)」という心的能力の区別にあります。これらはすべて、**「見かけの現在(specious present)」**と呼ばれる、ある程度の幅を持った主観的な「今」の経験の中で生じるものに過ぎません。
以上の議論から、マクタガートは、時間は客観的な現実の性質ではなく、矛盾をはらんだ主観的な見かけに過ぎないと結論づけ、「時間の非実在性」を主張したのです。
ハーマンによるOOOとの比較と評価
ハーマンは、マクタガートのこの議論を高く評価し、自身のOOOの時間論との間にいくつかの重要な共通点を見出します。
- 共通点:
- 両者とも、時間を独立した容器と見なすニュートン的な絶対時間の存在を否定します。
- 時間は変化を前提とするものであり、その逆ではない、という点で一致します。
- 過去や未来という概念は、客観的に存在するものではなく、「見かけの現在」における記憶や予測としてしか存在しない、という見解を共有します。
しかし、ハーマンは決定的な相違点も指摘します。
- 相違点:
- オブジェクトとクオリティの不在: ハーマンによれば、マクタガートの議論の弱点は、彼が(フッサール以前の哲学者として)OOOの基礎である「オブジェクトとそのクオリティの区別」を持たない点にあります。そのためマクタガートは、「事物の性質で変化しうるのはA系列の規定(過去・現在・未来)だけだ」という誤った主張をします。しかしOOOの観点からは、オブジェクトの表面的なクオリティは絶えず変化しても、オブジェクト自体の同一性は保たれます。
- 「時間のない(timeless)」現実の解釈: マクタガートは、実在を「永遠」のようなものと見なす傾向があります。対照的に、OOOにおけるリアルなオブジェクトは生成・破壊されうるものであり、永遠ではありません。「永遠」か「絶え間ない流転」かという二者択一自体が誤りであり、OOOのオブジェクトは「断続的に動く」存在として捉えられます。
結論として、ハーマンはマクタガートの「時間とはA系列である」という前提と、「そのA系列は矛盾しているため実在しない」という結論の両方に同意します。しかし、OOOにとっての「時間」とは、マクタガートが非実在的だと結論づけたA系列のことではありません。OOOにおける「時間」とは、マクタガートが主観的なものとして切り捨てた、まさにその**「見かけの現在」において、センシュアルなオブジェクトとその移ろいやすいセンシュアルなクオリティとの間に生じる、絶え間ない緊張関係そのもの**なのです。ハーマンは、マクタガートの鋭利な分析を利用して、時間を客観的な現実から切り離し、それを現象の「表面」に位置づけるという自身の立場を正当化しつつ、OOO独自のオブジェクト論を導入することで、マクタガートの哲学にはなかった、よりダイナミックな時間像を描き出しているのです。
⚫︎追記。以下の部分が矛盾しているといえば、矛盾しているようにも読める。
《ハーマンはマクタガートの「時間とはA系列である」という前提と、「そのA系列は矛盾しているため実在しない」という結論の両方に同意します。しかし、OOOにとっての「時間」とは、マクタガートが非実在的だと結論づけたA系列のことではありません。》
「時間とはA系列である」と認めたのに、しかしそのすぐ後に「A系列ではありません」と言っている。しかしこれは「言い方」の問題でしかなく、まずは、一般的に時間と言われるものはB系列ではなくてA系列の側にあることを認め、かつA系列が矛盾していることも認める。しかしその上で、マクタガートのように、時間を主観的=非実在とするのではなく、「OOOにとっての時間」は主観ではなくオブジェクト=実在に起因する(しかし、オブジェクトの「深み」に起因するのではなく、その「表層」に起因する)のだと、ハーマンは主張している、ということだろう。時間とは「マクタガートが非実在的だと結論づけたA系列のことではありません」ということだ。そして、オブジェクトとは、永続するものでもなく、しかし常に移ろうものでもなく、一定期間持続するものだ、とする。