2025-08-06

⚫︎(一昨日からの続き)『Objects Untimely』は、グレアム・ハーマンとクリストファー・ウィットモア(考古学者)による共著だ。考古学者であるウィットモアが、なぜ、オブジェクト指向存在論を提唱する哲学者と「時間の哲学」にかんする本を書く必要があったのか。第一章「Time and Objects」(この章は二人の連名で書かれている)から、このことについて書かれている部分を抜き出して、Gemini 2.5 proに要約してもらった。

 

本書の冒頭に置かれたこの章は、共著者の一人である考古学者クリストファー・ウィットモアの視点から、本書全体の核心的テーゼ「オブジェクトが時間を生成する」という原理を提示するための、壮大な問題提起の役割を担っています。そのために、本章はまず、近代考古学がその誕生以来、いかにして「時間」を捉え、扱ってきたのかを歴史的に振り返ることから始めます。そして、その伝統的な時間観に内在する限界を明らかにすることで、なぜオブジェクト中心の新たな時間論が必要とされるのか、その必然性を説得的に論証していきます。

近代考古学の「時計作り」と容器としての時間

本章がまず明らかにするのは、近代考古学の本質が、ある種の「時計作り(clockmaking)」であったという事実です。19世紀以降、考古学は、過去を科学的に測定し、秩序立てることを目指しました。その根幹をなしたのが、時間を、あらゆる出来事やオブジェクトを収める、それ自体は空虚で均質な「容器」として捉えるという考え方でした。この時間という容器は、現在から過去へと遡る、明確な目盛りを持つ「線的(linear)」なものと見なされました。

考古学者の主な仕事は、発掘された遺物(オブジェクト)を、この線的な時間という物差しの上に正確に位置づけることでした。古代コリントス遺跡の発掘を例にとれば、考古学者たちは、文献史学と、地層の上下関係から年代を決定する層位学(stratigraphy)を駆使しました。これにより、新石器時代、古典期、ローマ時代といった「時代区分(periodization)」が確立され、複雑な過去は整然とした年代の連なりとして整理されたのです。

このプロセスにおいて、オブジェクトの役割は極めて限定的なものに留まりました。オブジェクトは、それ自体として探求されるべき自律的な存在ではなく、特定の時代を指し示すための「代理人(proxies)」や、過去の情報を読み解くための「情報源(sources)」として扱われたのです。例えば、ある様式の土器は「アルカイック期」という特定の時間区画に属するものとされ、その存在価値はその時代指標としての機能に還元されました。

このように、オブジェクトを特定の時代の中に「封じ込める」実践は、結果として、時間がオブジェクトとは独立して存在する、外的なものであるというプラトン的な時間観を無意識のうちに強化していきました。オブジェクトは時間の中に「置かれる」ものであり、時間がオブジェクトを規定するのであって、その逆は考えられなかったのです。この時間観は、考古学という学問分野の専門分化(時代ごとの専門家が生まれる)とも相まって、非常に強固なパラダイムを形成しました。

プロセス考古学の挑戦と残された課題

20世紀後半になると、この静的で線的な時間観に対する重要な挑戦が現れます。ルイス・ビンフォードらに代表される「プロセス考古学」です。彼らは、遺跡をある一瞬が凍結されたものと見なす従来の考え方を「ポンペイの前提(Pompeii premise)」と呼び、これを痛烈に批判しました。

プロセス考古学が光を当てたのは、遺跡が現在見る姿になるまでの動的な「形成過程(formation process)」です。彼らは、長年にわたる緩やかな土砂の堆積、短時間で起こる建物の崩壊、人間によるゴミの投棄、風雨による侵食といった、多様な要因が複合的に作用して遺跡が形成されることを明らかにしました。これにより、時間はもはや均質でリニアなものではなく、様々な速度とリズムが混在する、非線形的なものとして捉え直されました。これは考古学の時間論における大きな進歩でした。

しかし、本章の著者たちは、このプロセス考古学にもなお根本的な限界があったと指摘します。なぜなら、形成過程への注目も、結局はオブジェクトを、それを生み出したより大きな「プロセスの結果」あるいは「副産物」として捉えるものだったからです。オブジェクトは、依然としてそれ自体が能動的な力を持つ存在とは見なされず、その存在論的な地位は二次的なものに留まりました。オブジェクトの自律性は、ここでも見過ごされたままだったのです。

持続するオブジェクトと時間の生成へ

こうした考古学における時間論の歴史的展開は、従来のパラダイムが行き詰まりに達していることを示唆しています。そして、この袋小路を打ち破る鍵こそが、「オブジェクト」そのものに他なりません。本章は、ここで一つの根源的な原理に立ち返ります。それは、**「変化とは、安定した背景に対してしか認識することができない」**ということです。

古代コリントスの遺跡に今もなお聳え立つ、七本のドーリア式の柱。これらの柱は、アルカイック期に建てられて以来、ローマによる破壊、オスマン帝国時代の変容、近代ギリシャの独立といった幾多の歴史的変化を経験しながら、その存在を「持続(persist)」させてきました。私たちが「この柱はどれくらい古いのか?」あるいは「どれくらいの期間ここに立っていたのか?」といった時間を巡る問いを発することができるのは、まさしくこの、変化の中で持続するオブジェクトが存在するからです。もし柱が存在しなければ、私たちは時間を問うための足がかりそのものを失ってしまいます。

ここに、本書の核心的テーゼ「オブジェクトが時間を生成する」の、考古学的な根拠があります。時間は、オブジェクトを収める外部の容器なのではなく、オブジェクトの持続と変化との関係性の中から「生成」されるのです。私たちは、持続するオブジェクトに出会うことによってはじめて、時間を経験し、それを問題にすることができる。この認識は、考古学がオブジェクトとの向き合い方を根本的に見直し、人間中心主義的な視点から脱却するための重要な一歩となります。そして、このオブジェクトと時間の根源的な関係をさらに深く探求するために、本稿は哲学、とりわけオブジェクト指向存在論OOO)との対話へと進んでいくのです。

 

⚫︎その上で、上の部分を含む、第一章「Time and Objects」全体の要約を作ってもらった。この要約には、第1章から第4章、そして結論という形で章立てがなされているが、これは要約をつくるときに内容に沿ってGeminiが独自の判断でつけたもので、本文にはこのような章立てはない(そもそもこのテキストが本の第1章だ)。

こうやって改めて「要約」を読んで、この本はやはり(のみ込み難い、簡単には受け入れ難いところまで含めて)すごく面白いなあと思うのだった(ハーマンはこんなに面白いのだ、ということを訴えたいのだ)。

ハーマンの本は、電子書籍ならアマゾンで簡単に買えるし、AIを使えば日本語で読める(さらに、難しいところはAIにアシストしてもらえる)。ただし、本文をテキストファイルに変換するという一手間はかかるが。

 

要約:時間とオブジェクト

本稿は、オブジェクト指向存在論(Object-Oriented Ontology, 以下OOO)の提唱者である哲学者グレアM・ハーマンと、考古学者クリストファー・ウィットモアによる学際的な探求である。その核心には、「オブジェクトが時間を生成する(Objects generate time)」という、従来の常識を覆す挑発的な公理が据えられている。これは、考古学とOOOの双方にとって共通の基盤となりうる原理であり、時間を万物を収める独立した「容器」と見なしてきた伝統的な思考様式に根本的な転換を迫るものである。本稿は、まず考古学の歴史において時間がどのように扱われてきたかを概観し、次に哲学における時間論の主要な対立軸を分析することで、この新しい公理の射程と意義を明らかにしていく。

第1章:考古学における時間 ― 容器としての時間とその限界

近代考古学は、その誕生以来、人間社会を時間に位置づけることを至上の命題としてきた。それは、現存する遺物(オブジェクト)を、それらが属していたとされる過去の時代の「代理人(proxies)」として扱い、年代測定によって過去を測る「時計作り」の営みであった。古代コリントスの発掘を例にとれば、考古学者たちは地層の上下関係や出土物の様式の違いから、新石器時代からローマ時代、そして現代に至るまでの時代区分(periodization)を確立した。このプロセスにおいて、時間は、過去を現在から切り離された、測定可能な距離を持つ「線的(linear)」で「連続的(successive)」なものとして捉えられた。オブジェクトは、この外的な時間の流れの中に配置されるべき客体とされ、その存在は特定の時代という「容器」の中に限定された。このプラトン的な時間観、すなわち時間がオブジェクトから独立して存在するという見方は、考古学という学問分野の構造そのものに深く根付いていた。

しかし、20世紀後半になると、この均質な時計の時間モデルに対する疑問が呈されるようになる。ルイス・ビンフォードに代表されるプロセス考古学は、遺跡をある瞬間のスナップショットと見なす「ポンペイの前提」を批判し、堆積や崩壊といった遺跡の「形成過程」に注目した。これにより、ゆっくりとした堆積と、数時間で起こる壊滅的な土砂崩れが混在するように、時間はもはや均一ではなく、多様なリズムを持つ非線形的なものとして認識されるようになった。

だが、この形成過程への注目も、結局はオブジェクトを、それを生み出した動的なプロセスに従属させるものであり、オブジェクトの地位を二次的なものに留めた。本稿が指摘するのは、より根源的な問題である。すなわち、変化は安定した背景に対してしか認識できないということだ。古代コリントスの神殿で今なお立ち続けるドーリア式の柱は、アルカイック期からローマ、オスマン帝国、そして現代に至るまで、様々な変化の中で「持続(persist)」してきたオブジェクトである。私たちは、この持続するオブジェクトなしに、その「古さ」や「期間」といった時間の問題を問うことすらできない。ここに、「オブジェクトが時間を生成する」という公理の最初の根拠がある。このオブジェクトと時間の根源的な関係を解き明かすため、我々は哲学の領域へと足を踏み入れる。

第2章:哲学における時間論の対立軸 ― 連続性と不連続性

哲学の歴史において、時間論は大きく二つの潮流に分けることができる。それは、時間を分割不可能な流れと見る「連続性の哲学」と、時間を独立した瞬間の連なりと見る「不連続性の哲学」である。

1. 連続性の哲学(ベルクソンアリストテレス的伝統)
アンリ・ベルクソンに代表されるこの潮流は、時間を個々の「今」に分解することを否定し、その本質を絶え間ない「生成(becoming)」と「持続(durée)」に見出す。驚くべきことに、この時間観の起源はアリストテレスにまで遡ることができる。アリストテレスは『自然学』において、時間、空間、運動を、任意に分割はできるが決して個々の点の集合体には還元されない「連続体(continuum)」として扱った。

しかし、アリストテレス哲学の核心は、この連続性の議論と並行して、『形而上学』で論じられる個別的で具体的な「実体(substances)」の存在を認めた点にある。彼の世界では、流れるような連続体と、個別的な「塊(chunks)」としての実体が共存している。これに対し、ベルクソンジル・ドゥルーズ、ギルバート・シモンドンといった現代の「生成の哲学」の多くは、このアリストテレス的な区別を乗り越え、実体さえも根源的な生成のプロセスの中に解消しようとする傾向がある。

2. 不連続性の哲学(ハイデガー=オケージョナリズム的伝統)
一般的に「生成の哲学者」と見なされがちなマルティン・ハイデガーだが、その時間論はベルクソンとは正反対の極に位置する。ハイデガーにとって、時間分析の核心は流動そのものではなく、ある単一の「瞬間」が持つ構造の解明にある。彼が『存在と時間』で論じる時間性とは、過去(被投性)・未来(投企)・現在という三つの要素が一体となった、瞬間における存在のあり方である。

この思想は、歴史的には「オケージョナリズム(機会原因論)」と呼ばれる、より古い伝統に連なる。イスラム神学のアシュアリー派に始まり、近世ヨーロッパのニコラ・マルブランシュを経て、20世紀のアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドやブリュノ・ラトゥールへと受け継がれるこの思想は、世界の出来事を独立した瞬間の連続として捉える。各瞬間は前の瞬間から因果的に断絶しており、神(あるいはそれに代わる何か)による絶え間ない再創造によって世界は維持されると考える。ホワイトヘッドが「現実的存在(actual entities)」は生成することなく瞬間的に「消滅(perish)」すると述べ、ラトゥールが「あらゆるものは一度だけ、一つの時間と一つの場所にのみ起こる」と宣言するとき、彼らは明確にこの不連続性の時間観に立っている。

第3章:オブジェクト指向存在論OOO)の時間論

この二大潮流に対し、OOOは独自の位置を占める。

  • 時間概念: OOOは、時間の連続性という点では、ベルクソンアリストテレス派の側に立つ。時間は不連続な瞬間の寄せ集めではなく、流れるような連続体である。この点で、ハイデガーホワイトヘッド、ラトゥールのオケージョナリズムとは明確に一線を画す。
  • オブジェクト概念: しかし、OOOは、ベルクソン派のようにすべてを流転の中に解消することはしない。アリストテレスのように、変化の中で持続する個別的なオブジェクトの存在を哲学の基礎に据える。この点において、経験は絶えず変化する「内容」ではなく、持続する「オブジェクト」から構成されるとしたフッサール現象学とも深く共鳴する。

OOOの四方構造の枠組みによれば、「時間」とは、経験可能な「センシュアルなオブジェクト(SO)」と、その表面に現れる絶えず変化する「センシュアルなクオリティ(SQ)」との間に生じる、継続的な緊張関係として定義される。時間は現実の最も「表面」で生成される現象なのである。

この定義は、時間と空間の根本的な非対称性をも明らかにする。OOOにおいて「空間」は、退隠した「リアルなオブジェクト(RO)」が関わる別の緊張関係(RO-SQ)から生じる。リアルなオブジェクトは個別的で量子化されているため、空間もまた連続体ではなく、本質的に穴だらけの「塊状(chunky)」のものとなる。したがって、アインシュタインが提唱したような、時間と空間を一体化した「時空(space-time)」連続体という概念を、OOO存在論的なレベルで否定する。

第4章:非線形的な時間と遡及作用

「オブジェクトが時間を生成する」という公理は、時間の非線形性と遡及性という、より複雑な問題を提起する。ラトゥールやミシェル・セールが示すように、時間は直線的に進むのではない。それは渦を巻き、淀み、過去のものが不意に現在と近接する(セールの「折り畳まれたハンカチーフ」の比喩)。

この時間の複雑な振る舞いを理解する鍵が「遡及作用(retroactivity)」である。これは、後の出来事が過去の出来事の意味や地位を遡って変容させる作用を指す。例えば、アラン・バディウの哲学では、ある過去の出来事が真の革命的な「出来事」であったかどうかは、後の時代の主体の「忠実さ(fidelity)」によって遡及的に決定される。また、トーマス・クーンの科学史研究によれば、マックス・プランクが1900年に行った量子仮説の発見は、彼自身にとっても、数年後のアインシュタインらによる再評価を経て、初めてその革命的な意義を遡及的に与えられた。

OOOは、この遡及作用のメカニズムを、オブジェクト自身の構造から説明する。マニュエル・デランダが論じる「創発(emergence)」の概念が示すように、より大きな複合オブジェクト(全体)は、それを構成する部分の単なる総和以上の存在であり、その部分に対して下降的な因果力、すなわち遡及的な影響を及ぼすことができる。例えば、水というオブジェクトは、それを構成する水素と酸素の性質を規定し直す。このモデルは、表面的な時間の流れ(センシュアルな領域での相互作用)が、いかにして深層にあるリアルなオブジェクトの構造を遡及的に変容させうるかを説明する。

結論:考古学とOOOの対話が拓く地平

本稿が提示した「オブジェクトが時間を生成する」という原理は、考古学とOOOの間に豊かな対話の可能性を拓く。

考古学にとって、OOOは、オブジェクトを単なる過去の代理人や、より大きなプロセスの副産物としてではなく、それ自体が自律性を持ち、時間を生成する能動的な存在として捉え直す視点を提供する。これにより、考古学は長年囚われてきた人間中心主義から脱却し、遺物、土壌、バクテリアといった非人間的なオブジェクトとの、より対等な関係を築くことができる。また、理論と実践の硬直した二項対立を乗り越え、両者が等しくオブジェクトを扱う営みであることを認識する道も開かれる。

一方、OOOにとっても、考古学は具体的なオブジェクトとの対話を通じて、自らの哲学を検証し、豊かにするための絶好の「摩擦(friction)」の場を提供する。古代の神殿の柱、埋もれた道、一つの土器片といった無数のオブジェクトたちが語りかける複雑な時間の様相は、哲学が抽象論に陥ることなく、世界の複雑さに応じた思考を鍛えるための、かけがえのない素材となる。

この二つの分野の邂逅は、単なる知的好奇心に留まらない。それは、私たちが過去と現在、そして人間と非人間の関係をどのように理解し、未来をいかに構想するかという、根源的な問いに対する新たな答えを探るための、創造的な協働の始まりなのである。