⚫︎夜中になんとなくヒッチコックの『レベッカ』を観ていた。動機としては、ヒッチコックはマンダレイのお屋敷をどんな感じで撮っていたかなあということへの興味だった。建築空間とフィクションのようなことをここのところ考えているので。
それはともかく、この物語では、主人公の女性(ジョーン・フォンテイン)も、屋敷の主人(ローレンス・オリヴィエ)も、レベッカの元使用人だったダンヴァース夫人(ジュディス・アンダーソン)も、三者三様の在り方で、皆、「レベッカという幽霊」に取り憑かれている。主人公にとってレベッカは、自分が存在する環境を「不在」によって支配する影(未知)の理不尽な権力であり、屋敷の主人にとってレベッカは、後悔と罪の意識と(秘密がバレるのではないかという)恐れによって自分を過去へと縛り付け、拘束する者であり、元使用人だったダンヴァース夫人にとってレベッカは信仰の対象なような存在だろう。そして三人の中で最も深く、そして強く「レベッカという幽霊」に支配されているのがダンヴァース夫人だろう、と、とりあえずは言える。
疑問なのは、ダンヴァース夫人はレベッカの死についてどう考えていたのだろうということだ。彼女はレベッカの不治の病について知ったていたのだろうか。あるいは、彼女は「主人がレベッカを殺したのではないか」という疑いを少しも抱くことはなかったのか。映画を観ている限り、ダンヴァース夫人はレベッカの死について、何の疑問も抱いていないように見える。仮に「主人による犯行」を少しでも疑っていたとすれば、彼女の憎悪は「レベッカの後釜」としてやってきた主人公であるより、屋敷の主人の方に向けられているはずではないか。
それで思うのは、ダンヴァース夫人のレベッカへの信仰は、レベッカの「死」によって完成したのではないかということだ。レベッカの生前は、彼女はたんに忠実な使用人に過ぎなかったのが、レベッカ本人が死によって消えることで、彼女の不在が際立つことになる「かつて彼女が存在した環境」の中で、不在としての信仰の対象Xを彼女は獲得した。よって、レベッカの死の原因は彼女にとっては不問に付される。映画『レベッカ』にはレベッカ本人のイメージは登場せず、ただ「R・W」という文字のみがレベッカを示す。そしてこの「R・W」という文字が指示する対象は、レベッカがかつてそこで生活していたマンダレイと呼ばれるこの屋敷(環境)そのものであろう。だからこそダンヴァース夫人は、最後に屋敷全体を焼き払わなければならなかった。
この物語の終幕には大きな欺瞞がある。屋敷の主人であるローレンス・オリヴィエは、レベッカの遺体を遺棄し、隠蔽はしたが、ギリ、「殺す」ことはしなかった。レベッカの死は事故死であり、しかも限りなく自死に近い事故である。このことが、かろうじて観客に、ローレンス・オリヴィエとジョーン・フォンテインの関係がお咎めなしのままで今後も続くであろうことを、祝福はしないまでも、納得はさせる(つまり「レベッカの呪い」が解かれたかのように勘違いさせる)。だが、ローレンス・オリヴィエがレベッカを殺さずに済んだのは、彼が手を下すよりも早く、たまたまレベッカが勝手に転んで死んでしまったからだ。彼には明確に殺意があり、レベッカが転ばなければ彼は彼女を殺していただろう。このことに対する「罪の意識」は今後もずっとローレンス・オリヴィエを蝕み続けるだろう。つまり彼はただ「不正」によって「社会的制裁」を逃れただけであり、今後もずっと「レベッカという幽霊」から逃れられないのではないか。
(レベッカが、ローレンス・オリヴィエに「自分を殺させようとした」という彼女の「悪意」はなおも生きており、依然としてレベッカは彼に対して「勝利」しているのだ。)
この事実を観客に対して隠蔽するためであるかのように、ラストにはダンヴァース夫人が、派手に、彼女の信仰の対象とともに炎上して消失する。マンダレイの屋敷の消失・焼失によって、主人公にとっての呪いも消えるだろう。だが、ローレンス・オリヴィエにとって「レベッカの幽霊」は存在し続けるだろう。