⚫︎昨日の日記で、オダギリジョーがやっていることは「リンチの継承」というよりも「リンチのパロディの継承」だというようなことを書いたが、しかしそうだとしても、オダギリジョーがリンチのインパクトを正面からきちんと受け止めている稀な映画作家であることは間違いないように思う。
例えば「THE オリバーな犬…MOVIE」のラストシーンで、鈴木慶一が池松壮亮に向けて銃を撃つ。ここでの銃声が、この映画で唯一のリアルな銃声なのだが、この銃声のコダマ=幻が、時間を遡行してこの映画の中で何度も響く。ファーストシーンとラストシーンで(オダギリジョーと池松壮亮が入れ替わって反復的に)現れる酒場こそが、時間の外に位置している、この世界の最もリアルな深層であり、だからこそ、そのコダマが「表層的な現実」の中で何度も反復されることになる。そして、我々が経験する「映画の時間」の中では、ラストの銃声が時間を逆向きに進んでいるのだ、とも言える。このような世界・時間の構造は極めてリンチ的であり、リンチ以外ではあまりみない。
(我々が経験する映画の(表層の)時間において反復される「銃声(のような音)がして人が倒れる(グラスが割れる)」という出来事は、最初に深津絵里によってこの映画に導入される。深津絵里こそが、深層の酒場の中心(しかし空虚な中心)にいて、深層の世界と「この(表層の)世界」を繋いでいる。深津絵里は、あからさまに、リンチにおける「泣く女」であろう。)
もう一つ。佐藤浩市はオダギリジョー(オリバー)の「父」が人間化した存在であろう。オリバー(オダギリジョー)は、池松壮亮に対してだけ人間であるが、佐藤浩市は誰に対しても人間化していて、人間社会の中で生きている。佐藤浩市は、犬でもあり、人でもある。ボランティアであると同時に警察犬でもある佐藤浩市は、冥府へと迷い込んでしまった人を発見する。しかしこの映画では、その佐藤浩市自身が迷ってしまい、彼のハンドラーであった深津絵里に導かれ、彼女に発見されることで「この世界」に帰ってくる。
この映画で「起こっていること」は、基本的に二つの事柄だと言っていいと思う。一つは、深層世界で響いた銃声が、表層世界で「コダマ」として何度も反復する。もう一つは、パラレルワールドに迷い込んだ佐藤浩市が、ハンドラーである深津絵里に導かれて「この世界」に戻ってくる。そしてこの二つの出来事は、映画のストーリーの時間の中で順番に(継起的に)起きるのではなく、映画の時空間全体に遍在しており、反復的(銃声)に、そして循環的(深津による佐藤の導き)に現れる。そしてこの両方に、深津絵里が深く関わっている。
(追記。というか、この二つの出来事が、映画の継起的時間の中で起きている様々なことがらと、別のありようとして並行的に起きている、と言うべきだろう。)
このような構造もまた、深くリンチ的であると思う。