⚫︎『さくらな人たち』(オダギリジョー)。映画版、テレビドラマ版とつづけて『オリバーな犬』を観て、映画作家としてのオダギリジョーに興味を持ったので、Amazonのマーケットプレイスでレンタル落ちのDVDを買った。この作品の存在は、下のイトウモさんのテキストで知った。
(オダギリジョーの監督作品はもう一本、『ある船頭の話』というのをU-NEXTで観られるが、それはまで観ていない。)
ファーストカットがすごい(グランドピアノを屋根に乗せて走るタクシー)。始まってしばらくは、一見、素人が性能の良くない民生品のビデオカメラで撮影しているかのような見た目だが(三脚も使わずにフィックスのカットでも画面がグラグラしている感じ)、自主制作的な作りの、俳優たちとの少人数の撮影で、何ならオダギリジョーが自分で撮影しているんじゃないかと思うくらいだが、しばらく観ていると、実はすごく(めんどくさそうな所まで)作り込んであるのがわかる。普通にスタッフがそれなりにいる、予算もそこそこの規模の撮影じゃないと出来ないことをやってるよね、と思う(特典映像のメイキングを観ると、実際そんな感じだった)。そこを意図的に貧乏くさく、素人くさく見せているのだろうと思って、最後まで観ると、クレジットに、撮影・小田切譲、月永雄太、とあって、おお、と思う。月永雄太にこの画面を撮らせているのか、と。素人っぽく見えるところはオダギリジョーが撮っているのかもしれない。
2008年公開だが、特典映像で舞台挨拶するオダギリジョーが、「撮影したのは三年前、「時効警察」の「1」と「2」の間くらい」と言っているから、2005〜6年くらいだろう。20年近く前だが、今、公開されている「THE オリバーな犬…」と比べて、オダギリジョー、ブレないなあ、と思う。テレビ版の「オリバーな犬」を観ると、誰がみても楽しめるように普通に面白くしようとしている感じがあるが、映画となるとそこは違うのだな、と思った。エンタメとして誰もが楽しめるようなものではない。かといって、映画としてビシッとかっこいいものには決してしない(おちゃらけた感じで崩す)。シリアスな問題を扱っているのでもない。映画マニアがニヤッと笑って喜ぶようなマニアックさを強調しているのでもない。誰が観ても反応に困る、感想を聞かれても、何について、どう触れればいいかのよくわからない「この感じ」を、ずっと貫いているのだな、と。
U-NEXTにある『ある船頭の話』には、《明治後期から大正を思わせる時代、美しい緑豊かな山あいに流れる、とある川。船頭のトイチは、川辺の質素な小屋に1人で住み、村と町をつなぐための川の渡しをなりわいにしていた。文明開化の波が押し寄せていたある日、トイチの前に謎めいた少女が現れ…。》という説明文がついていて、正直、あんまり面白そうには思えないし、積極的に観たいという気持ちになかなかならなかったのだが、「THE オリバーな犬…」と『さくらな人たち』を観て、いやいや、オダギリジョーがそんな「まとも」な(まとも「に」か ? )映画を作るわけがないと思えるようになって、俄然、観るのが楽しみになった。
(『さくらな人たち』は、タクシーに乗ってひたすら移動する映画だが、オダギリジョーは、自動車の車内で対話する人を撮るのが好きなのだなあと思った。「THE オリバーな犬…」でも、深津絵里と池松亮介が車の中で会話する場面が延々と続き、観ていて「この場面、ちょっと引っ張りすぎじゃないか」と思ったのだった。しかし、そう感じた次の瞬間、不意に、道路を走る車を俯瞰するドローンによる空撮カットに切り替わって、それがそのまま、佐藤浩市が失踪したという切り立った海岸へとつながるという、すごく鮮やかで面白い場面転換があって、おお、こんなこともするのか、と驚いた。)