⚫︎『ジャクソンひとり』(安堂ホセ)。普通に良い小説だと思った。ただここで「普通に良い」とは、小さな箱に、さまざまな要素を綺麗に並べて収めることで、とても効果的な「箱詰め」ができているという感じのことで、それはちょっとした不満でもある。ぼくの嗜好性でしかないかもしれないが、4人の「ジャクソンたち」が、まったりわちゃわちゃしたり、喧嘩したり、周囲の人や社会に対する不満や怒りを爆発させたり、悪いことをしたり、されたりするのを、もっと、長くつらつらと書き連ねられてあるものを読みたいという気持ちになった。
(この作家がどのような志向性を持った人なのかは、この作品だけではわからない。社会的に強いメッセージを、強いインパクトで押し出したいという気持ちが強い人であれば、ぼくが望むようには書かないだろう。)
⚫︎このような小説の多くは、主人公の一人称的な視点から描かれることが多く、主人公の身体性や気分、感情などによって作品が深くまで染め上げられ調子が決定される場合が多いと思うのだが、この作品は、ちょっと、とっ散らかっているという印象をもつくらいに多視点的であるところが面白い。それはもちろん、4人の「ジャクソンたち」の話であることから必然的にそうなるのだけど、ジャクソンたちや主要な人物だけでなく、ポロポロとこぼれ落ちるかのように、視点が、けっこう緩く周囲の人物に移っていく感じが面白かった。もしかするとここにこの作家の特異性があるのかもしれない。
(故に、生々しい身体性はけっこう希薄だと思う。)
⚫︎ただ、ラストに「(強く印象付けるような)象徴的なシーン」を持ってきて、それをもって小説を閉じるのは、いい加減やり方が古いし、ダサいと、ぼくは思う。
⚫︎中上健次になり得る人なのかな、というのは、勝手な期待の押し付けというものかもしれないが(作者がやりたいのはもっと全然べつのことかもしれない)。