⚫︎ネットフリックスで『ちょっとだけエスパー』、第二話。今回はイマイチかなあと思ってしまった。ドラマの中で、ドラマの展開の都合によって便利に使われる「絵画」や「画家」ってなんなのだろうか、と思ってしまった。ドラマの都合のためだけにあるかのような底の浅い芸術論。「黒い卵の絵」ってなんなんだよ。そんなのべつに面白くなんかねえよ、と思ってしまった。わかりやすさ優先のテレビドラマがこんな感じなのは、仕方ないといえば仕方ないが、野木亜紀子でさえ「絵画」や「画家」をこんなにいい加減に扱うのか、と少し悲しくなってしまった。
(クレーの絵=贋作が、サイズ感も含めてちゃんとガチでクレーっぽかったのは良かった。いやいや、それ、一目で偽物って分かるやつだろ、みたいなものではなかった。こういうところがちゃんとしているドラマや映画は案外少ない。)
⚫︎『MIU404』の星野源と同様、このドラマの岡田将生もまた、分岐する世界について語る(近年の野木亜紀子のドラマのほとんどが「分岐する世界」を主題としているように思われる)。ただし、星野源とは違って、岡田将生は、この「分岐する世界」の「分岐そのもの」を制御しようとしているかのようだ。初回を観たただけでは、ノナマーレという組織は相互扶助的な助け合い集団に見えたが、そうではなく、「分岐する世界」を制御し、「分岐のありよう」を管理しようとする危険な組織であるような様相を呈してきた。それに対し、大泉洋が(未だ本格的なものではないが)、まずは軽い「抵抗」の身振りを示す。
(結果的にミッションは達成されるが、大泉洋は、途中で意識的にミッションを放棄する。)
(前回のミッションで扱ったの一人が、「婚活アプリで見つける相手は運命の人ではなかった」というようなことを岡田将生は言うが、しかし、仮に未来を予測できるとしても、運命の人かそうでないかを決める権利がなぜ「お前」にあるのか、という疑問が当然出てくる。それを判断する権利は本人と「神」以外は持っていないはずではないか。この発言だけで、岡田将生がヤバい奴でノナマーレが危険な組織だということがわかるだろう。)
(いや、そもそも、たんなる「人助け」ならともかく、その範疇を超えて「他人の運命の分岐を意図的にコントロールする」などという行為は、たとえその人の利益になることだとしても、倫理的に「人」がやっていい行為ではない。その当事者の合意すらとっていないのだから尚更。そのような問題が露呈した回であった。)
(追記。明らかに「シュタインズゲート」的な物語だが、「シュタゲ」の場合、前半では「過去にメールを送る」という小さな介入によって過去を変え、それによって現在が変わる。後半では、主人公のみが現在の記憶を保ったまま過去に意識を飛ばせるようになり、より大きな介入が可能になる。しかし「シュタゲ」では、前半においては当事者本人の意思や希望によって、後半では主人公の幼馴染の死の回避のために、過去への介入、つまり「運命の分岐」への介入がなされる。これでも倫理的にまったく問題ないとは言えないが、少なくとも当事者自身の切実な動機によって「分岐」への介入が行われている。しかし岡田将生は、当事者の意思とは無関係に、自分自身の側にある何かしらの目的によって、他者の運命に介入してしまっている。)
⚫︎大泉洋のわかりやすさ。大泉洋は、どのようなドラマの、どのような役柄であっても、ブレることなく「水曜どうでしよう」のあの大泉洋であり、そのままのあり方でなんでも成立させてしまう。そのような彼の存在(明快なキャラクター性)や、きっぱりとわかりやすく誇張された演技は、ドラマを明快にわかりやすくさせる効果を持つだろう。その意味で、彼は唯一無二で、今のテレビドラマになくてはならない俳優であるだろう。そのことが、このドラマで、吉と出るのか凶と出るのか。