2025-11-10

⚫︎「アイドル三十六房」の最終回がようやくアーカイブにアップされていた(最終回が行われたのは8月)。アーカイブ動画を観ていて、こうやって人は生きて、こうやって時は過ぎて、こうやって人は死んでいくのだなあという感慨を持った(別に誰も死んでいないが)。

・【最終回】2025/8/6(水) OA 『南波一海のアイドル三十六房』 Archives

https://www.youtube.com/watch?v=NID6Yxw1Y2E

日本の地下アイドル(ライブアイドル)は、日本のメジャーアイドルとも違うし、韓国のアイドルとも違う。雑にその特徴を挙げれば、強くない、クオリティ高くない、競争しない(競争嫌い)、だと思う。だから、いわゆる「アイドル戦国時代」の所有なアクターたちとは根本的に異なる人によって成立していると、ぼくは思っている。

(クオリティにかんしては、長く続けていると嫌でも上がってしまうので、クオリティは高くても良い。あくまで、クオリティが高いから良い、ではなく、高くてもべつに構わない、という感じだ。)

アイドル戦国時代が始まったのは2010年くらいからで、ぼくがアイドルに興味を持ち始めたのは2017年くらいからだから、遅い。興味のきっかけも、アイドリング!!!が終わった後の、元アイドリング!!!の人たちの活動であり、BiSが終わった後の、元BiSの人たちの活動からであって、「戦国時代」にあった下剋上の実現や激しい競走(というか抗争)とはあまり関係がないし、そこに興味はあまりない。そしてそこから興味が「地下」へと移っていく。

(現場に通うわけでもなく、「推し」に積極的に課金するのでもなく、オタではなく、あくまでネットを通じたウォッチャーでしかないのだが。)

アイドル戦国時代の熱の高まりの余波のようなものとして、「地下シーン」への一定の関心の高まりがあった時期があり、そこには一定の盛り上がりと活性化があった。とはいえ、それはあくまで「棚からボタモチ」であり、地下の人たちは基本として「競走嫌い」であるし、大体、強くないダメな人たちであるから「戦国時代」には乗っかれない(乗っからない)。

基本的に、強くないダメな人による、その強くなさやダメさをふんだんに含んだパフォーマンス(あるいは表現物)があり、それを、自身もまたうだつの上がらない、強くない人であるオタが、生ぬるい笑いと共に受け入れる。この「笑い」はもちろん嘲笑ではなく、共感と愛情の緩い笑いだ。音楽とそのパフォーマンスを媒介とした、強くなく、クオリティ高くなく、競走嫌いな人たちによる、緩い共犯関係の場として、地下という界隈がある。このことがとても貴重であるように思う。

アイドル戦国時代というシーンは、基本的にDD(誰でも大好き)的なオタに支えられ、つまり特定の「推し」はいるにしても、それを軸にしてシーン全体(戦国の情勢)を楽しみ、「推し」以外の活動にも積極的に興味・関心を持つ人たちによって成り立っていた。同様に、地下を支えるオタたちも基本としてDDであり、「推し」以外のグループにも興味を持ち、(競走・抗争は嫌い、という違いはあるにしても)シーン全体のありようを(というか、多様なものたちへ「探索」そのものを)楽しむ人たちだろう。

(DDにとってはメジャーも半メジャーも地下も関係ないから、「戦国時代」オタは同時に「地下」オタでもあっただろう。)

しかし時代は変わり、DD的なオタが減少し、特定の「推し」のみを強く推し、それ以外には興味を持たないというオタが主流になって、それにより、(すでに成功しているアイドルと)メジャーで保守的なアイドルばかりが生き残る「天下統一」がなされて、カンブリア紀的な多様な種による抗争・下剋上が成立していた「戦国時代」は終わった。それに伴い、多様なものたちが弱く共存する(しょぼいことによる共存である)地下シーンも、著しく衰退していく。それが今だろう。

しかしそれでもなお、引き続いて活動を持続しようとする人たちがいて、また、そのようなしょぼくれたシーンにも、まだまだ新規参入してくる人たちがいる、ということが、この動画をみるとわかる。細々とではあっても、まだまだしぶとく生き続ける。そのような感触を得た。

(「推し変より推し増し(推しを変えるのではなく推しを増やせ)」という言葉があるが、ドルオタに限らずDD的態度は重要だと思う。「一途な愛」は保守しか生まない。)

⚫︎これとは別に、「アイドル=やらされている」問題(「やらされている(憑代となる)」ということをむしろ肯定的に考える)があるが、それはまた別の話だ。