2025-11-29

⚫︎Netflixで「ちょっとだけエスパー」第六話(間違い、五話だった)。うーん、このドラマなんかずっとイマイチな感じだ。麿赤兒による強烈なキャラが出てきて胡散臭い空気が流れ、変にちゃんとしている分だけ面白みとハッタリの足りない「SPEC」みたいになってきた。

(「シュレーディンガーの猫」という比喩は間違っていないだろうか。どっちかというと「バタフライエフェクト」の方がまだ近い気がするが。でも「バタフライエフェクト」も違う。ああ、そうか、エベレット的な、量子論多世界解釈の世界だと考えれば「シュレーディンガーの猫」であってるのか。いや、ほんとにあってるのか… ? )

(あからさまに「トロッコ問題」みたいなのを匂わせてくるのも、うーん、ちょっと安易じゃないのかなあ、と感じてしまう。)

世界線(この「世界線」という語の使い方も厳密には間違っているが)とその分岐というモチーフは、野木脚本では「MIU404」にも「コタキ兄弟…」にもあって、そのモチーフがSF的に前面に出てきているのはわかるが、どうしても「シュタインズゲート」の二番煎じ感がしてしまう(いま・ここにある細かな出来事が、将来の大量死につながっていることが匂わされるところもまた、あからさまに「シュタインズゲート」的だ)。

それと、全体の構造と個々の細部とが、いまひとつ噛み合っていないような感じがどうしてもしてしまう。

高畑淳子の過去は、もう少し本編に絡んでくるのかと思っていたが、取ってつけたような感じだったし、超能力の電磁波と過去との関係もよくわからない。とか。麿赤兒のようなハッタリを効かせたキャラが出てくるが、たとえば「SPEC」だったら、その世界は基本的に論理的一貫性にそれほど頓着しないおちゃらけた世界なので、キャラもハッタリを効かせてなんぼ、という感じだが、「ちょっとだけ…」の世界はかなりかっちりと一貫性を持って構築されている感じなので、ハッタリキャラは浮いてしまって説得力を持たない。とか。)

シュタインズゲート」が画期的だったのは、いま・ここの「a」という出来事が未来の「A(たとえば、世界戦争と大量死)」につながり、しかし「b」を選択すると未来が「B(たとえば、革命が起こり独裁と戦争が回避される)」に繋がるという歴史の展開があるとして、この「aならばA」「bならばB」という出来事のつながり・発展の根拠が、従来の物語のように「出来事の因果的な連鎖(a→a`→a``→…A)」にあるのではなく「世界線の分岐」そのものにあるという、フィクションにおける「新しい根拠」を設立したという点にあるだろう。

(これらの点については『虚構世界はなぜ必要か ? 』という本でいろいろ書いています。)

この点を「ちょっとだけエスパー」はそのまま踏襲しているようなのだが、ただ、「ちょっとだけ…」では、未来の問題だけでなく過去の問題(宮崎あおい岡田将生の過去)が絡んでいるようだ、というところが違うのか。この「過去要素」が、今後どうなっていくのか。

(もしかすると、宮崎あおいが見ている夢は、過去=記憶ではなく、未来=ヴィジョンなのか ? )

(それと、世代間対立の要素が含まれているというところも違うか。)