⚫︎つちやそうたさんから教わったスマホで絵を描くアプリ「Sketchbook」は、操作が簡単なわりにできることがいろいろあって、面白くてハマってしまった。このアプリを開くと時間が瞬く間に溶けていく。何日か前、ちょっと最近なかったくらいの酷い肩こりと目の奥の鈍い重さを伴う疲労を感じて、今、特に忙しいわけでもないのになぜだろうと思ったが、原因はおそらくこのアプリだ。スマホの小さな画面に向かって、長時間、指をちまちまと不器用に動かして絵を描いていたからだろう。考えてみれば、ぼくは今までスマホの画面のような小さなサイズの絵を描いたことがほとんどない。学生時代に課題で版画を作った時ももう少し大きな画面だった。
デジタルで絵を描くというのは、サイズが相対化されるということだ。ぼくはずっと、キャンバスに油絵の具とか、水彩紙に透明水彩とか、常に具体的な「大きさ」が決まっていることを前提に、その大きさに対して、絵を描くことをしてきた。最近では、いろがみをちぎってスキャンするということをしていて、スキャンしてデータになった途端にサイズの具体性は相対化されるのだが、(少なくともそれを作ったぼくにとっては)そのデータには、それがもともとはいろがみのサイズを持っていたことがある程度は刻まれている、というように感じている。
しかし、このアプリを使って、スマホの表面に指を滑らせて絵を描いている時、ぼくには「スマホのサイズの絵を描いている」という意識がまったくない、ということに気づく。描いているのはスマホでだが、それを観る時は27インチのPCモニターで拡大して観ているし、なんなら、キャンバスのサイズでイメージするなら、F60とか、もうちょっと大きいくらいのサイズでも成り立つくらいの感じでいる。しかし同時に、たとえばその画像をこの日記やnoteの記事に貼り付けると、観る人の多くはこの絵をスマホのサイズで観ているのだなあと思い、それはそれで納得している。
(これはまた別の話だが、ポレポレ東中野に『脱出の最中』を観に行ったとき、上映の前に映画館の前で監督と少し話していたら、音楽の田中淳一郎さんがやってきて、「映画、観ましたか」と言うので「一応、ウェブで観てます」と答えると「ぼくも最初はウェブで観たんですけど、ウェブだとイマイチで、あれっと思ったんですよね」と言う。ぼくはウェブでも特にイマイチとは思わなかったのでどう答えようかと思っていると、田中さんはスマホを出して「こんな感じですもんね」と。ぼくにはスマホで映画を観るという発想があまりなかったので、ああ、なるほどと思った。「今の人」という言い方も変だが、今の人は普通にスマホで映画を観るのだよな、と、自分の「今の人」でなさを感じた。確かにスマホで観たら『脱出の最中』はイマイチだろうと思う。)
スマホの小さな画面でやれることは限られているので、中古のiPadが安く手に入らないかな、と思い始めるくらいにはアプリにハマっている。
(あえて「文房具店で買える安いいろがみ」を使って作品を作る、のと同様に、あえて「スマホのみ」という制約のなかで描く、というコンセプトもあり得るが。)
⚫︎アプリ「Sketchbook」を使って描いた絵。




