⚫︎U-NEXTで、コンプソンズ『われらの狂気を生き延びる道を教えてください』(2022年)。
この日記で色々批判的なことを書いているのに、結局コンプソンズ大好きじゃん、自分、という感じで、またまたコンプソンズ公演の映像を観た。で、驚いた。これはもう最初から最後までずっと素晴らしかった。すごい傑作だと思う。しかしこの傑作は、現代の日本の空気を浴び、首都圏近傍に住み、かつ、ある種の文化圏に親しんでいる人たちのみが受信可能(享受可能)な電波から成り立つ、徹底してニッチでドメスティックな種類の傑作だろう。
(U-NEXTの紹介文に《ラーメン屋を営む元アイドル》と書かれていて、あまりにニッチな時事ネタ過ぎて「狙いすぎ」なのではないかと観る前は不信感の方が強かったが、それどころではなく、コロナ禍、地下アイドル、反ワク、陰謀論、サブカルチャー、反社と半グレ、排外主義、クマ被害、女性支援NPO、芸能界の闇、そして小劇場演劇…、と、ニッチで危なくて不謹慎なネタのてんこ盛りだった。)
最高の内輪ノリと内輪ネタの数々。だがそれは、ブラックに、アイロニカルに、容赦無く内輪を弄りまくり弄り倒す、というような内輪ノリだ。一方で「にわか」臭さのない本格的な「内輪」感があり、同時に容赦無く「内輪」を相対化して弄り倒すブラックな視点もある。自己批判でも、自虐でもない、自分弄りと自己に向けられたアイロニーが徹底された末に遠くから自己肯定が僅かにほの見える、というような内輪ノリ。どこまでもクールで、ある意味冷笑的な知性が、内輪ノリと同居して展開されることで、抜き差しならない、のっぴきならない認識と狂気じみた感情にまで至る。こんな作品の在り方が可能なのか、という驚き。
(これまで観た二つの作品、『岸辺のベストアルバム』と『愛について語るときには静かにしてくれ』では、露悪的なまでの内輪ノリのパートと、その内輪ノリの相対化するパートという、ある意味わかりやすい二部構成になっていたが、この作品では、どの瞬間にも、その二つの矛盾するベクトルが同時に働いているという感じ。)
とても素晴らしいと思うのだが、この素晴らしさがわかる人は初めから限定されてしまっているという、この「ものすごい勿体ない」感じ。ただ、ぼくにとっては奇跡のように素晴らしい。まるでホークスの『赤ちゃん教育』のように素晴らしいが、それとは違ってわかる人はローカルに限定される。「社会派」なのだが、決して広く社会に浸透することのない、マイナーでしかあり得ない「社会派」(客席100席以内の「社会派」)。
演劇としての劇作とパフォーマンスの高度な洗練と、ロフト系イベントの(外には漏らさない、SNSにも書き込まないという前提で可能になる)「ここだけの話」の(サブカル的な)悪ノリ的内輪感とが悪魔合体をしている。
あまりに素晴らしいので多くの人に推薦しまくりたいのだけど、たとえばアイドル(地下アイドル)界隈の(2022年当時の)細かい事件や事情に詳しくない人には「? ? ? 」の連続でピンとこないかもしれないし、サブカル的な現代風俗に興味のない人にとっても「? ? ?」でしかないかもしれない。それでもまったく話の展開や面白さがわからないということはないだろうが、「何が」「どう」面白いのかについて、多くのネタやニュアンスを拾えないだろう。それだとこの作品が実現している「アイロニーの絶妙な匙加減」を汲み取ることが困難ではないか。何もそこまで細かいネタを拾って需要者の幅を狭く限定することないのにとも思うが、その「細かさ」の選択がマニアックで素晴らしく、しかし同時に、「そのようにマニアックであること」に対する冷めた態度と自己ツッコミに満ちてもいる。
頭が良くて口の悪い奴が親しい友人たちについて毒を吐きまくる。それは決してたんなる「悪口」ではなく、親しいからこそ可能になる容赦ない批評であり、そこに手加減も忖度もない、そのことこそが親愛の印である、というような感じ。でもこの感じは、親しい友人たちの間(内輪)でしか伝わらないよね、赤の他人が聞いたら感じの悪いただの酷い悪口だよね、というようなもの。その内輪感が、選民主義的でエリート気取りで気に食わない、というのが、現代文化の支配的な感覚だろう。もっと平たく、民主的に、そして優しく、異文化に対しても開かれてあれ、と。それはその通りだし、それに対する否定の感情はないが、でも、それによって、高度な知性と上品さが「口の悪さ」と同居することで初めて可能になる痛烈な「毒」のようなものが、現在の文化・芸術からは失われてしまっているというのも事実で、そのような中、この作品のなんと貴重な(希少な)ことだろうか。。
この作品は、果敢にも、時代の風潮に逆らって高密度に凝縮された「毒」を放ちまくる。自身が強力な「毒」そのものであることによって「現代という毒」を相殺する解毒剤であり得るような何か、なのだと思う。
(そもそもぼくは配信の映像で観てしまっているわけだが、この作品は本来「コンプソンズのファン」である「目の前にいる客」だけにこっそりと向けられた贅沢な秘密の毒電波のようなものかもしれない。)
⚫︎世界があまりに酷くなると、心ある人は、自ら進んで過剰に「真面目である」ことが強いられるようになる(「自ら進んで強いられる」というこの感じ)。だがそのこと自体がひどく息苦しい(ただでさえ「世界の酷さ」に憤ったり心痛めたりしているのに)。すると、息苦しさに耐えかね、キレて、自ら進んでクソになる人も増える。自らクソに塗れることの享楽というのが確実にあるから。クソの享楽の魅惑に闇堕ちすることなく、踏みとどまるためにも「良質の毒の味(毒の享楽)」に触れている必要がある。だが「良質の毒」を生み出せる知性を持つ人は限られている。
(「良質の毒」とは「クソ=低質な毒」に陥るのをギリギリ、キワキワの線で逃れるバランス感覚を持った毒=享楽のこと。)
⚫︎追記。この日記を書き終わってから、タイトルで検索して発見したのだが、2022年の公演時のアフタートークのゲストが、吉田豪、佐々木敦、いとうせいこう、となっていた。ここに吉田豪が入っていることが、この作品の「内輪」感がちゃんと本物であることを示しているだろう。しかも、今の吉田豪ではなく、2022年の吉田豪なのだから、最もディープに地下アイドル界隈とかかわっていた時期だ。おそらく地下アイドル界隈に最も詳しい人であったこの時期の吉田豪に、アイドルネタの演劇を堂々と観せられるという、それがもう「にわか仕立て」ではないことの証だろう。
⚫︎さらに追記。遅れて思い出したのだが、吉田豪は、たんに「日本で一番地下アイドルに詳しい人」というだけでなく、この作品の主題(の一つ)である「元アイドルのラーメン店主」の件(事件)に、かなり深いかかわりのある人でもあった。そういう人をちゃんと呼んで劇を観せるという態度は、これもまたちゃんとしているなあと思う。