⚫︎ドラマ『ひらやすみ』をU-NEXTで。ちょっとだけ観ようと思ったら10話まで観てしまった。
⚫︎このドラマを観たすべての人が思うと思うけど、まず森七菜すげー、と思った。最初に登場する場面で、岡山天音から「美大合格おめでとう」と言われて「美大なんてフリーター製造工場とか言われてますけどね」とかいう返しをするところのぎょどり具合がまるで宇多田ヒカルのモノマネをするミラクルひかる(喩えが古い ? )のようで一発で目が奪われる。その後はそこまで極端な感じではなく、デフォルメされたキャラとリアリティとの間のちょうどいい塩梅のところへ常に落とし込んでくる感じで、しかも後ろ姿を一目見るだけで「なつみ」そのものとして現れている。
演技は常に演出と共にあって演出と切り離せないし、一人の俳優の演技は他の俳優との関係の中で成り立つので、「森七菜の演技」だけを切り離して賞賛するのは間違っていると思うが、それでも「森七菜すげー」と思わずにはいられないくらい際立っている。
⚫︎原作は読んだことないが、ネットで検索して見られる「原作の絵柄」による主人公のヒロトの姿には「30歳」というリアリティはあまり感じられない。十代でも通じるような絵柄で30歳という設定になっている。しかし実写でドラマ化すると実年齢が30歳に近い俳優が演じることになる。この話では主人公が「30歳でこの感じ」というのが重要で、30歳という年齢は、どんなにのんびりした人でも「あー、俺ももう30か」と無理矢理に思わされてしまうような、俺もちゃんとしなきゃとかの圧を自分自身に対してかけてしまうような(圧を感じないでいることが困難であるような)、罠であり呪いのような年齢で、しかしこの主人公は、30歳にもかかわらず「30歳の呪い」とまったく無縁であるというところが重要だろう。だからこの役は、ちゃんと30歳に見える人が演じた上で、役として成り立つことが必要で、その意味で岡山天音は、若いとはいえさすがに20歳そこそことは違うよね、という風にちゃんと見えて、しかもそのまま「こんな感じ」が成り立っている。このリアリティが実写が実写であることの強さだと思う。
⚫︎この話は「悪い人がまったく出てこない」話ではあるが、しかし「嫌な奴」を否定的媒介として使ってしまっているという点が、たとえば『ぼくたちん家』よりも弱いところだと思う。森七菜と光蔦なづなが仲良くなるための「否定的媒介」として「大学のいけすかない同級生」が利用されてしまっている。そして、10話までの段階で、だが、このいけすかない同級生は「否定的媒介(いけすかない人たち)」という以上の役割は与えられていない。こういうドラマの作りはやや安易だと思える。『ぼくたちん家』がすごいのは、このような否定的媒介を一切使わずに(序盤の光石研がややそんな感じではあったが)、一時間ドラマ10話分の話を成立させたところにあると思う。
⚫︎岡山天音と吉岡里帆が距離を縮める10話は傑作と言ってもいい出来だと思うが、それでも、「吉岡里帆の実家の猫」が、ただ死ぬためだけにドラマに登場しているような感じがちょっとあって、これもまた「否定的媒介」のやや安易な使用のように思えなくもない。これはほぼ言い掛かりのようなものかもしれないが。
⚫︎あと、岡山天音の友人役の吉村界人の独特のクセのある感じが素晴らしい。
⚫︎8話で、森七菜と光蔦なづながお互いを描きあう場面があるが、美大生、しかも絵画科だったらもうちょっと(というか、かなりもっと)絵が上手いと思うのだが。それじゃあ美大には入れないよ、というような垢抜けない絵なのだ。森七菜が描いている漫画の絵はちゃんとしているのに。ドラマとか映画とか、美術(絵画)にかんしてこういうところで手を抜きがちだよなあと、いつも思う(世の中の「絵画」への関心度の低さを反映しているのだろうと思えて悲しい)。