⚫︎『ふれる。』をU-NEXTで。監督・長井龍雪、脚本・岡田麿里、キャラデザと作画監督・田中将賀のトリオによる新作が2024年に公開されていたということを今まで知らなかった。15日に東京科学大学(ほぼ旧東工大)で『心が叫びたがってるんだ。』について深掘りする講義をするので、これは観ておかないわけにはいかないと思って観たが、本当にこの三人の作品なのか疑ってしまうくらいに「ありきたり」な感じの作品だった。
秩父三部作のユニークさ、また、2023年に公開された、岡田麿里が監督・脚本の『アリスとテレスのまぼろし工場』の、岡田麿里特有のアクの強さを濃縮した超濃厚さに比べ、なんともあっけないというか、スルッと、さらっと、通り抜けられてしまって、引っかかるものがない。
(長井龍雪の演出はそれなりにステイリッシュでかっこいいが、だからこそなおさら、するするっと通り抜けられてしまう感じ。)
確かに、うまく言葉が出てこない(口よりも先に手が出てしまう乱暴者の問題児である)、故に内側に「どろどろ」が溜まってしまう主人公の「秋」が、どのようにしてコミュニケーションの手段を獲得するかというような主題については「心が…」と通じるものはあるが、主題の展開としても、あるいはたんに「物語としての展開の面白さ」とか「アイデアの面白さ」という点からしても、あまりにあっさりしていて「工夫がない」ように感じられてしまった。
(秋、優太、諒という三人の人物の葛藤の物語が収束した後、今度は(「人間」ではない・超自然的な生き物である)「ふれる」の方が臍を曲げてしまうというか、「ふれる」の孤独が改めて問題になるところが、「視点」としてちょっと面白いとは言えるが、でも、それを主眼としたいなら、このような「物語」の組み立ては違うんじゃないかなあ、と思ってしまった。その視点の面白みがうまく物語に組み込まれていない、というか。それに何より、映画の時間の多くを占めている、秋、優太、諒の友情と葛藤の物語が「ありきたり」であると感じられてしまうところが、うーん、という感じだった。)
(「ふれる」は、人と人との関係を「媒介」し「調整する(フィルターをかける)」ことによってしか自らを主張できない生き物として設定されている。そういう徹底して受動的な「生き物」を中心とした物語を作るというアイデアは、考えてみればけっこう面白いことであるようにも思われてくる。でも、そうだとしたら「こういう物語」じゃないのではないか、と思う。)