2026/01/26

⚫︎永瀬さんがリポストしたことで知った。この絵、素晴らしいな。いわゆる「間違ったキュビスム」の絵なのだが。

 

「間違った精神分析」が存在するのと同じくらいに「間違ったキュビスム」が存在する。しかし、「間違ったキュビスム」の世界はとても豊かで、(「ちゃんとしたキュビスム」よりもむしろ)面白い絵がたくさんある。ジャンヌレ(ル・コルビュジエ)とかもそうだと言えるが(ジャンヌレは「ピュリズム」で「キュビスム」とは違う、のだけど)。

(「ジャン・メッツァンジェ(Jean Metzinger)」で検索すると、ああ、なるほど、間違ってるな、と思う。「真正なモダニスト」なら「邪道だ」と判断せざるを得ないような絵がたくさん出てくるのだが、なんか、かわいくてとても魅力的なものも多い。)

(しかし、こういうことを言いすぎるのもどうかと思う。やはり、「ちゃんとしたキュビスム」がどういうものかは、ちゃんとわかっていた方がいいと思う。その上で、「正しいキュビスム」の「正しさ」は、幾つもあり得る「正しさ」のうちの一つであるに過ぎない、と言わなければならないだろう。)

(「正しいキュビスム」と、どこがどう違っているのか、そして、その違いを分かった上で、この絵のどこがどのように魅力的なのか、を、ちゃんと考える必要がある。この猫の絵は「間違ったキュビスム」ではなく、そもそもキュビスムとは「別のこと」を問題にしている絵なのだ。キュビスムが問題にしていない、キュビスムという問題の構えでは取り扱えない、「(運動に伴う)空間のねじれ」が問題になっている絵なのだと思う。)

⚫︎当時、キュビスムから強いインパクトを受け、その影響下で作品を作った画家が多くいた。よく言われるが、キュビスムには相対性理論と類比されるようなインパクトがあった。しかし、キュビスムが「何をやっているのか」を、同時代の時点で正確に掴めた画家はあまりいなかったので、キュビスムのローカル変種のような作品が多く生まれた。とはいえ、「正しいキュビスム」とは要するにピカソとブラックの絵ことなのだから、キュビスムを正しく把握して制作したとしても、それはピカソとブラックの亜流でしかあり得ない。だから、(妙な言い方だが)キュビスムに強く影響されながら、それとはまた別のことをやろうとしている「間違ったキュビスム」こそが、キュビスムから影響を受ける「正しい」やり方だとも言える。

だから問題は、キュビスムとして正しいか間違っているのかという教条主義ではなくて、その絵が何をやろうとしていて、それがどこまで実現できているか、そして、その絵が体現しているものが面白いものなのか、そうではないのか、というところにある。

⚫︎だが、ジャン・メッツァンジェという画家を今まで知らなかったが、Wikipedia(英語版)をみると、《セザンヌ的要素を強く含んだ分割主義やフォーヴィスムの様式で制作を行い、初期のプロト・キュビスム作品のいくつかを生み出した》とも、《ルベール・グレーズと共にキュビスムに関する最初の理論的著作を著した》とも書かれていて、キュビスムに影響を受けた人というより、最初期からその創生・成立にかかわっていた人であるらしい。だとしても、彼をキュビスムの画家としてみると「二流だ」ということになってしまうと思う。

en.wikipedia.org

ただし、そうだとしてもWikipediaでは面白い絵がいろいろみられる。むしろマティスとの類似性が強くて、(キュビスムに忠実であろうとする絵よりも)キュビスムマティスの折衷みたいな絵が妙に面白くて良い。

下の画像はWikipediaからスクショしたもので、「24」という数字が描き込まれているが、ピカソやブラックの作品にしばしば文字や数字が描き込まれていることの意味がぜんぜんわかっていないとしか思えない(この「24」はキュビスム的空間性としては完全に間違っている)。しかしこの絵は(キュビスムとは別の意味で)とても面白い。

Wikipediaからもう一枚スクショ。ぼくはこの絵を(色彩やテクスチャ、そして形態の「響き」として)すごく好きだが、キュビスムとしてみると空間が破綻している(むしろ、この破綻のあり方こそが面白いと、ぼくは思うけど)。