⚫︎地元のシネコンでようやく『閃光のハサウェイ キルケーの魔女』を観る。まあ、すごいこと。これだけのものを作るには、それは四年かかるよ、と。ただ、音楽の趣味がぼくとは合わないということがあるが、それ以外は、どこを切ってもかっこいい脅威のクオリティ。世の中の風潮とか、その時々の政治的状況とかがどうあれ、コツコツと時間をかけてとにかく「これ」を作るのだというこの態度こそが、ジャーナリズムとは対極にある「作品」というものの姿ではないか、と。
一回目に観た感想としては、受けとめきれないほどの充実した質にただただ圧倒されたという言葉しか出てこない。
(実際、一回観ただけでは、自分がどこまで話を把握できているのかまったく心許ない。)
驚くべきことの一つに、今どきこんな不親切な作品ある ? 、というくらい徹底して「説明しない」という態度が貫かれていることがある。その潔いかっこよさ。かなり複雑な話なのに、それぞれの人物の個別の動きを次々と追っていくばかりで、一歩引いて全体の構図を見せるというようなことをしない。そもそも、中国の東側、香港、フィリピン、オーストラリアをまたぐ、かなり広い範囲を、それぞれの人物があちらからこちらへ、こちらからあちらへと、行ったり来たりするのに、地図さえ説明的には示さない。さまざまな地名が飛び交い、「え、それ何処 ? 」となる。せめて地図を見せて「ここ」くらいのことはあってもいいよね、と思うのにない。また、マフティ(ハサウェイ)側のかなり重要な船舶(そこには当然主要な登場人物も多く乗っている)が撃墜されたことを、セリフで一言さらっと提示するだけで話がそのまま進行していく。え、今、なんかすごい重要なこと言ってたけどそのままスルーなの、聞き間違いじゃないよね、ちょっと巻き戻しさせてよ、となる。
この話は、大きく引いてみれば政府軍対反政府軍(テロリスト)の戦いだし、この第二作目は、双方が他方を陽動する騙し合いが描かれ、そこに第三の勢力(というかアクター)である「予言者としてのギギ」が絡んでくるという話で、それはまさに、ギギ、ハサウェイ、ケネスという三人の主要人物の関係に集約されるとも言えるはずだが、しかし、この作品は決してそのような「大きな流れ」にまとめることのできない、三人の主要キャラの関係には集約されない、さまざまな勢力と力の抗争、さまざまな場面、さまざまな人物の個別のありようを際立たせる。つまり、「要するに政府対反政府の戦いに不確定要素としてキキが介入する話だよね」とは言わせないように作られている。「要するに」と言わせない、「大きな流れ」に還元させない、一つ一つ個別の粒立ちの連なりとして構成される(動脈静脈と毛細血管との太さの差が小さい、なんなら逆転してるところも ? 、みたいなイメージ)。だから、話がわかりにくいし、そして、たとえ話がまったくわからなかったとしても、どこを切っても等しくかっこいいので面白く観られる。
クライマックスとして大規模な戦闘シーンが用意されているとはいえ、この作品には、起承転結のようなわかりやすい流れとしてのストーリー展開はないし、いわゆる「感情曲線」と言われるような観客の感情の盛り上がりの推移が考慮されているとも思えない。とにかく、さまざまな人物の関係が作り出すさまざまな力、さまざまな場面とその成り行きの集積によってできている。複雑な話なのに説明しない不親切なつくりであることも含め、昨今の一般的エンタメ作品のあり方とはきっぱり一線を画す、独自のあり方で屹立している。
実際、「ガンダム」についての基礎知識がまったくない人が観たら、なんの話なのか全然理解できないのではないか。しかしそれでもきっと、最後まで飽きずに観られるだろう。そして訳もわからず魅了された人のうちのいくらかは、ある程度話がわかるまで何度も繰り返し観るだろうし、他のシリーズにも関心を向けるのではないか。
最低限の背景知識として「逆襲のシャア」を観てさえいれば、「ハサウェイ」がどのような話なのかはわかるだろう。しかしそもそも「逆シャア」をわかるためには、ファーストガンダムとZガンダムの話をある程度は知っている必要がある。これは、背景となる文脈の豊かさであると同時に、新規の人や、若い人たちがファンとして参入するにあたってとても高い障壁となる。「ガンダム」は、広く浅くファンを拡大させるというのではなく、参入障壁は高いが、それを越えてきたファンには必ずコアの深みまで引き摺り込むような奥深さによって支持を拡大させ続けて、もうすぐ50年になるという長い期間生き続けているのだと思う。
(そもそもぼく自身が「ガンダムUC」からの「にわか」なのだ。)
⚫︎おそらく完結編となる次の作品では「父」との悲劇的対決になってしまうのか(ブライト・ノアが呼び出された ! )。そもそも、タイトルでハサウェイの前に「閃光の」という言葉が付いている時点で、彼が短命であることが運命付けられている(なぜか『千年の愉楽』の登場人物たちを想起してしまう)。「ガンダム」では、父と対立する子供(息子・娘)が、そうとは知らずに父を殺してしまうという場面が繰り返し描かれる(「逆襲のシャア」がそうだし、最近では「水星の魔女」がそうだった)が、それとは逆に、父が意思を持って息子を殺すという話になってしまうのだろうか(原作小説は未読、アニメ完結まで読まないようにしている)。