2026/04/23

⚫︎去年の5月、夏の文フリ東京で、初めて文フリに行った。VECTIONの人たちと、どんな感じなのか一回見てみようということになって行ったのだが、事前の情報をあまりに入れていなさすぎて(いぬのせなか座とブレコ書房のブースの位置を確認していただけだった)、会場のデカさと人の多さとに目を白黒させるだけで終わってしまった感がある。それはそれで面白かったのだが。

今年は、きくやさんも西川さんも忙しくて行けなさそうなのだけど、ぼくはまた行ってみようと思っている。ぼくもまた、5月はずっと部屋に引きこもってやり続けなければ終わらないことがあるが、1日くらいは時間を作りたい。そして今、去年の反省もあって、事前の情報を色々調べているのだけど、面白そうなものがちょっこちょっこ引っかかって、これらを全部買うとなるとちょっとやばいなあという感じになっている。去年とは逆に、事前に決めたブースにだけ直行して、予定していた本だけちゃちゃっと買ったらぱっと帰らないと、さらに目移りしてたら大変な散財になってしまいかねない。

いろいろ情報を見ていて思うのは、小説は難しいなあということだ。たとえば批評や研究なら、何に対して、どんな切り口で論じているのかということが、タイトルとサブタイトル、それにちょっと1、2行添えられる説明文くらいで、(書き手のセンスや指向性のようなものも)なんとなく察せられるし、これ、ちょっと気になるかなあ、というようなカンが働く余地がある。もちろんそのようなカンが必ず当たるわけでもなく、むしろしばしば間違えるのだが、それでもとっかかり、引っ掛かりのようなものは得られる。でも、小説は、タイトルとちょっとした説明文では、その小説がどのようなものかぜんぜんわからないというか、引っ掛かりのようなものをどのように得たらいいのかがわからない。「あらすじ」では小説の質感はわからないし、コンセプトが面白そうだとしても、コンセプトだけでは小説の質は支えられない。手探りのしようもないなあという感じになる。

ぼくは、文芸誌などでいわゆる商業デビューしていない人の書いた小説を読む機会が多いのだけど、(ぜんぜんダメなものも多くあるが)いわゆるプロの作家の書くものと質的に遜色のないものは意外にたくさんある。芥川賞受賞作よりもぜんぜんこっちのがいいじゃんと思うものも決して珍しくはない(反権威主義的に誇張して言っているのではない)。そのクオリティをその後も持続できるのか、という問題はあるのかもしれないが(だがこの問題はデビューできた作家にもある)。だから、文フリにも面白い小説はあるはずだと思うが、それをどうやって探したらいいのかがわからない。

(さすがに、片っ端から読むという気力はない。)

これは読者の側のとてもわがままな願いでしかないが、書評のようなものがあったら助かるかなあと思う。小説を書いた人は、信用できそうな友人に食事を一回奢るくらいして、わりとガッツリな感じの書評を書いてもらって、それが事前にネットにアップされていたりすると、手探りの探りようがあるというか、カンをはたらかせ得る、とっかかりになるのではないか。そういう友人がいない人は、作家自身が名前を変えて「他人という体で」自分で書いてもいいんじゃないかと思う。