2026/04/24

⚫︎ツタヤディスカスで借りたDVDで、『もだえ苦しむ活字中毒者 地獄の味噌蔵』『よろこびの渦巻き』(黒沢清)。黒沢清の作品でこんなにも心が動かされたのは二十年ぶりくらいだろうか。どうでもいいことだが「DRAMADAS」と「DRAMADOS」の違いに初めて気づいた。

「もだえ苦しむ活字中毒者」が90年で、「よろこびの渦巻き」が92年。伊丹十三と揉めたことで干された黒沢清はVシネマ(オリジナルビデオ)に活路を見出す(1994年~)のだが、その直前に関西テレビで作ったテレビドラマ。「もだえ苦しむ活字中毒者」は、これ以降の黒沢清の作風を予感させるような感じで、「ドレミファ娘」とも違うし『スウィートホーム』や『地獄の警備員』とも違う、90年代の黒沢清がここから始まる、という作風(90年代の日本映画を代表する俳優と言っていいと思われる大杉漣と諏訪太朗も出ている)。この作品に出てくる巨大な味噌蔵は、これ以降の作品に繰り返し現れる廃工場の空間のプロトタイプのようだ。それに対して「よろこびの渦巻き」は、80年代の黒沢清、パロディアスユニティの諸作品や「ドレミファ娘」「神田川淫乱戦争」の路線をより一層煮詰めて過激化したような作品。ぼくにとっては(あくまで「ぼくにとっては」だが)これこそが黒沢清で、観ていて心が震えた。因果の切断と、即物的な粗暴さ。おそらく、黒沢清が何の気兼ねもなく好き放題にやるとこうなるのだと思う。ただし、この方向はこの作品で一旦封印したのだと思う。もちろん、これ以降の作品にも「こういう感じ」は滲み出るように随所に見られるのだけど(時にチラッと、時に大胆に)、「職業的な映画監督」であるために、この方向を全面的に展開するのはやめたのだろう。

(つまり、最低限、ちゃんと社会に対して説明・言い訳できることをやるようになった、のだと思う。)

もし、この方向を全面展開していたら、イオセリアーニになっていたかもしれないし、オリヴェイラになっていたかもしれない、と、「よろこびの渦巻き」を観ていると、黒沢清の、あり得たかもしれない別の可能性に思いを馳せずにはいられないが、しかし、現実的に考えれば、こんなことを続けていたならば、仕事を失って、映画監督を続けられていなかったのかもしれないのだろう。

『よろこびの渦巻き』を観ながら、かつての自分が黒沢清の作品にとても深いところから揺り動かされていたのだという感覚を久々に思い出した。これ以降の作品で、「この感覚」が最も色濃く出ているのは、1999年の『ニンゲン合格』と『大いなる幻影』だと思う。

(逆に言えば、それ以降は、ぼくの中では、ほんの少しずつだがだんだん遠くなっていく感じ。)