⚫︎「ナイス・エイジ」(鴻池留衣)。並行世界を主題としたSFの中でもっともショボい話としてとても面白い。オカリンじゃない人から見た「シュタインズゲート」って、こうなるよね、という話でもある(クリス=絵里、オカリン=進次郎)。並行世界についての思考実験である「量子自殺」とかもそうだが、「本人」以外の人に並行世界の存在を(この小説ではタイムトラベルの真偽を)証明することができない。だから、このショボさこそがまさに並行世界の真のリアリティ(手触り)なのではないか。
(鴻池留衣の作品を読み返していて、意外にも「並行世界」のモチーフが色々なところで見られることを発見したのだが、それがここから始まっているのか、と。真偽を確かめることができない事柄によって世界が一挙に胡散臭いものとなることこそが、この作家にとっての大きな問題だからだろうか。)
巨大掲示板の文化がすっかり廃れてしまって、その部分はやや古くなっているかもしれないが、インターネットというものが持つ「雰囲気」にかんしてはSNSの時代になってもそこまでは変わっていないのだな、とも読んでいて思った。
一つの事実に収束しない、決定不能な多義性というのは、多様であり得る様々な「解釈」そのものが面白いのではない。あり得る解釈は、どんなに多様性があるといっても、結局はどれも紋切り型のバリエーションでしかない(だから世界は平板化する)。そうではなく(世界に対する解釈や説明が面白いのではなく)、多義的な解釈を受け入れ得るようにある、その「支持体のありよう」こそが面白い。世界とは、そのようにある「支持体」であるのだ、と。