2026/07/16

⚫︎『足音がやってくる』(マーガレット・マーヒー)。これは素晴らしかった。

大きな話でも、複雑な話でもなく、シンプルな話が、ほぼ枝葉もなく一直線に進んでいくが、それでも十分に豊かだ。この物語は、確かに、主人公のバーニーを中心として一直線に進んでいくのだが、しかしここには、バーニーの二人の姉の存在がとても強く介在している。バーニー中心の物語であるように見えて、実は、バーニーと二人の姉、タビサとトロイという、三つの中心の重ね合わせによって世界が成り立っていると言えるのではないかと思う。

バーニーの困難が中心にあり、バーニーの困難とその解決という物語なのだが、バーニーの困難として始まった物語は、中盤になると弟の困難を助けようとする「おしゃべりで太った姉」タビサが大きく介入してきて、むしろ彼女の探究(探究心)こそが中心となり、そして終盤で物語を解決し収束させるのが「無口で痩せた姉」トロイなのだ。そしてこの終盤では、この物語はバーニーの物語であるというよりもむしろ(これまでずっと「印象な沈黙」を保っていた)トロイの物語だったのではないかと思わせられるような転倒が起こる。シンプルな単線的物語であるように見えるものが、実は三つの分散された中心によって成り立っているというのが、この作品の豊かさを形作っているものの一つだと思われる。

(どうでもいい話だが、この作品は「目次でネタバレ」してしまっていて、目次を見ると物語に仕掛けられた最大の「謎」がわかってしまうのだが、ネタバレなどというものによって作品の素晴らしさは少しも損なわれることはない。)

ともかく、バーニーと二人の姉それぞれの人物像と、その関係の描き方がとても魅力的で素晴らしい(『サティン入江のなぞ』でも、主人公の少女と二人の兄の人物像、関係、配置がとても良かった)。そこに、少し理想的すぎる(というか、無理してでも理想的であろうとする)継母と、影が薄いが善人でどこまでも常識的であろうとする父が加わるという家族像(人物の配置)は、まあ、保守的であり、都合が良すぎる(善良すぎる)とも言えるが、悪い状態を「これがリアルだ」と提示するより、「良い状態」を嘘くさくない形で示す方が難しいとも言える。

一方に、継母と父と三人の子供たちという、(保守的ではあるが)比較的新しい家族があり、もう一方に、三人の子供の母であった亡くなった女性が属していた伝統的な一族がある(伝統的な一族には、魔法という「伝統的な問題」がある)。この二つの家族の関係が、この物語ではほぼ「社会」を代替する。伝統的な一族は、お爺さんとお婆さんだけで構成されている(一番若い、若くして亡くなったと思われていた「魔法使い」コールでさえ50歳代だ)。このように、社会背景は大幅に縮約されて表現される。

人々が基本的に善良であるという前提があること。そして、社会(社会的関係性)のあり方の表現がシンプルな形に縮約されてあること。児童文学とよばれるものの多くはこの二つを前提にしているように思う。そして、そうであることによる可能性と、限界とがあるだろう。そしてこの作品では、その可能性が最大限に発揮されているのではないか。

(ここにある、社会的関係性をシンプルな形で縮約的に提示するというあり方は、たとえば中上健次的な、土地や血縁関係、時代背景などのまるごとを含む背景事情の複雑さとは対極にあると言えるだろうと思う。)