●小鷹研理さんの「ボディジェクト指向」、これはすごい作品ではないか。
https://vimeo.com/293061994
シンプルに、誰でもが一目見ればわかるし、逆に、一目見てわからなければ、多分どんなに説明されてもわからない。今まで自分でも気づいていなかったからだのどこかの「敏感な場所」に、前触れなくふっと触れられて、おおっとなる感じ。じぶんのからだにこんな場所があったのかと新たに気づくというような感じ。
この作品(この感覚)は複合されたもの(少なくとも二つの映像と二面の鏡からなる)であるのだけど、しかし同時に、これ以上単純化できない、ある経験の原器のようなものになっていると思われる。連接によって生じた、ある一つの感じ。
この気持ち悪さをどう考えればいいのだろうか。こんな経験はしたことがない。しかし、もしかしたら夢のなかでしているのかもしれない。少なくとも、意識的な形ではしたことのないはずの経験だけど、まったく未知の経験ということでもない。どこかで既視感にひっかかるからこそ、いっそう気持ち悪いのだと思う。今までの体験型の装置とはちがって、「作品」として経験されるという形になっているのだが、作品という形でこの感じが可能になっているのは、外観として既視感を惹起するものがあるからではないか。